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(7)部下の教育指導

http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/08/7_6e0e.html

2005/08/04

企業経営者にOBの皆さんに、「先輩は会社で何に注力してきましたか」とうかがうと、 たいていは「社員の教育」という答えが返ってくる。 確かに企業活動に社員の教育や指導に割り当てらける時間や労力は大きい。

「戦略的情報組織論」
http://www.sciencehouse.jp/etc/20050423strategy_info.pdf)
でも述べたように、厳しい環境であればこそ、「学習する組織」以外は生き残れない。 優れた経営者は優れた教育者であることが多い。

最近では、教育界で経済界から教員をリクルートしようとする動きが活発である。 よい教師が経済界にはいる、という推測による行為である。 期待は時には裏切られることもないとはいえないが、 期待以上の逸材に出会うこともある。

経営者や管理職は日々「教育」の自己技能を向上させなければならない 環境におかれているのである。 教育指導の能力は、明らかに「社長の条件」の一つである。


以下には、私の部下B君と私の仮想的な交信の記録を取り上げる。 社長になるための条件の大切な一つが教育指導が出来るということである。

今、A君は、入社希望で現在は当社で研修をしている 女子アルバイト学生Bさん(北京出身)の教育指導に手を焼いている。 A君は、きわめて熱心な役職者なのだが、 まだ部下の育成と言う意味では実績がない。

琵琶>
これら(Bさんの提出資料)を見ると、未完成ではあるものの、 それなりに作業している痕跡は見ることが出来ます。 これらの資料を基に、Bさんに対する指導方法を考案することもある程度出来たかも知れません。

A君>
出来れば、もう少しましな報告書をお見せしたかったのすが、 琵琶さんがこれでもそれなりの作業と思われたのなら、自分の判断ミスです、 少しBさんを庇いすぎました、すみませんでした。よろしくお願い致します。

琵琶>
そのときの、A君の判断や対応も、普通に言えば80点で、十分合格です。 しかし、いまひとつ、抜けきれぬ「壁」がありますね。 その壁はA君自身が感じているのではないでしょうか。 指導者になるための、ある種の「壁」です。
ここで、A君が、将来100点とはいえないまでも、 98点はとれる指導者となるためにあえて次のような説明をしておきます。 私が、君に文句を言っているのでないことをご理解ください。 私が、そのようなことを今まで十分に教えなかったことを反省しているのです。 他の社員さんたちにも教えていませんし、・・・、責任を痛感しています。 以下の説明は、周囲の社員さんたちにも伝えておいてください。


残りの20点には、なにがあるかといえば、次のような諸点です。
1)山本五十六風に言えば、「手本を示して、、、」の「手本」を示していない。
2)「学習性無力感」を誘発する危険性を冒している。

1)山本五十六風に言えば、「手本を示して、、、」の「手本」を示していない。

1)は比較的簡単なことですが、労力が大きいことを覚悟しなければなりません。 まず、教える側が、同じ技をやってみせると言うことです。 教師は、まず黒板で問題を解いてその解説をして見せます。 それから「次の問題は自分でやってごらん」といいます。 君に足りないところの一つは、「自分ならば、この資料をこう書くよ」と言って、 結果を示して手本とすることです。

格下の相手に何かを先に出させるのは、教育の際には指導者のやることではありません。 手本どおりに、書き直させたら、よく点検して、 よく出来ている点を「ほめ」なければなりません。 ここで「ほめ」ないと初心者は「学習性無力感」に陥ります。 さらに修正点があればそれを指示して訂正させます。 訂正できたら、「ほめ」まくります。

2)「学習性無力感」を誘発する危険性を冒している。

2)の「学習性無力感」とは、少し専門的で難しい話ですが、 上記の「ほめ」の必要性の説明で、少し分かっていただいたかもしれません。 要は「〜はダメ、〜はだめ」と言っていると、 言われている側は、最初はフラストレーションをためて反発したり、 発奮したりしますが、ある限界を超えると、 まったく努力する気力を失ってしまう心理現象を引き起こすことが知られています。

本人は「やらないことは悪いことだ」という罪悪感にさい悩まされながら、 どうしても金縛りにあったように何も出来なくなってしまうのです。 これは心理学的な病理現象ですから、病気にかかった人の責任ではありません。 指導者(であろうとする人)が、もっとも責任が問われて、 困難な課題がここにあります。

古くから知られている「囚人のアパシー」「捕虜の鬱症」などは、 すべてこの学習性無力感の延長線上にあります。 現在のニートや社会的引きこもりも学校教師起因性の 学習性無力感が原因の大半を占めているに違いないと私はにらんでいます。

世間では「教育するときは、ほめて教えろ」といいます。 この言い方は安易過ぎますが、 少なくとも「学習性無力感」に陥らないようにするという、 大原則を少し間違えて表現しているのです。 正しくは、「手本を見せて、言って聞かせて、やらせてみて、 "ほめ"てやらねば、人は動かじ」というように、 一連の手順の中で「ほめ」てやらなければならないということです。 いずれにしても「ほめ」ることは必要です。


手本も示さずに「ほめ」てばかりいれば、指導者は、馬鹿にされますね。 やらせてみて「ほめ」なければ、やらされたほうはやる気になりません。 手本も示さずに批判ばかりすると、指導を受ける側は「学習性無力感」に陥ります。 「手本を見せて、言って聞かせて、やらせてみて、"ほめ"てやらねば、…」なのです。

http://www.sciencehouse.jp/materials/kokoroe.pdf

「手本を見せること」「そしてしばしば"ほめ"ること」に気を遣えば、 指導者としての現在の壁を突破できると思います。 指導しようという意欲やそのためのA君の多大な努力は、高く評価しています。

もう少し深く考えて、もう一歩前に出てくれることを期待しています。 力ずくでなくて、勘所を押さえれば、案外うまく行きます。 教員としては優秀といわれる私の言うことをだまされたと思って聞いてみてください。

会って話したほうがいいと思いましたが、とりあえず、メールで許してください。

別途、顔を合わせてお話したいと思っています。


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