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(12)「株主利益最大化」のまやかし、クリステンセンはかく語る

http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/11/12_391d.html

2005/11/25

「日経ビジネス」の特別編集版(2005.11.28)には、鮮烈な討論の記録が掲載された。

「株主は革新の親にあらず」という記事のタイトルからして、衝撃的である。 参加者は、クレイトン・クリステンセン(米ハーバード大学ビジネススクール教授)、 橘・フクシマ咲江(コーン・フェリー・インターナショナル社長)、 高須武男(バンダイナムコホールディングス社長)、 藤森義明(日本ゼネラル・エレクトリック会長)の4名である。 そのほかに司会がいる。クレイトン・クリステンセンとは、 その著「イノベーションのジレンマ」で有名になった人物で、 日本のビジネス界や学界に大きなインパクトを与えている人物である。

「株主利益最大化が、経営者の責務」という言説が広く聞かれるようになったのは、 バブル崩壊後のことだろう。 この言葉は、敵対的な企業の買収に際して、主として買収側が使用する言葉である。

私は、「社長の条件」のシリーズで、 「株主利益最大化が、経営者の責務」という言葉を使用したことはない。 私は、自分の会社の株式を約80%所有している。 家内や息子の株式をあわせれば、95%に達する。 いわゆるオーナー社長である。

「株主利益最大化が、経営者の責務」というならば、 私利私欲こそが私の社長の責務ということになる。 しかし、社員の給与を出すために先祖代々の土地を手放したり、 個人の預貯金を放出したりしてきた私には、事実上縁遠い話である。 違和感はぬぐえない。

私が説いてきたのは「私利私欲超えた者こそが社長にふさわしい」というものである。 事実、私はそのようにすごしてきたつもりである。

クリステンセンは、「株主利益最大化が、経営者の責務」という言葉を、 この討議の中であっさりと否定して見せた。 これは「迷信」であるというのだ。 私のの考えをはっきりと支持することばである。


○司会 ・・・長期的な視点が欠かせないと思うんです。 しかし、企業はどんどん近視眼的になっているいるような気がします。

○クリステンセン エコノミストや経営者が根本的な誤解をしているしているからです。 「経営者は株主の利益を最大にする責任がある」という迷信です。・・・。

・・・

クリステンセン 経営者が責任を負っているのは、 企業を長期的に健全に発展させていくことです。 その責任を果たすために、社員を育て、顧客に喜ばれる製品やサービスを提供するのです。

自社の株式を買いたいという人たちには売りますが、 株主の前で卑屈になることはありません。 株式売買による利益を最大化する責任は、企業経営者にあるのではなく、 株主の側にあるのです。 間違った考え方から、私たちは一国も早く解放されるべきです。

(「日経ビジネス」の特別編集版(2005.11.28)、p.88)


クリステンセンが「株主利益最大化スタンダード」を否定???、 「そんなはずはない」と思う人は、 「日経ビジネス」の特別編集版(2005.11.28)を早速購入されるか、 図書館で読まれるとよい。

企業の存立の第一の理由は、 その企業の製品やサービスで企業が社会的な貢献ができるということである。 これなくしては、存在の価値も理由もない。 私は、このことを声高に叫んできた。

企業理念と8原則--社長の条件(2)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/02/82_313d.html

人望は必要か--社長の条件(5)
http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2005/07/__c227.html


株の売買はギャンブルである。 ギャンブルだから悪いとは言えないが、 ギャンブルは不確実性があるものが賭けの対象になるから面白いのだし、 成立するのである。

企業の消長も不確実性の筆頭のようなものだから、 ギャンブルの対象になるのである。 賭けの対象として、必ず儲かる張り先が決まっているというのは、 いかさま賭博のようなものであり、本来ご法度ではないのだろうか。

企業の不確実性は、企業が望んでそうなっているのではない。 神の見えざる意図や筋書き(経=経済法則)と 人々の暮らし方(済=営み)のアヤのなせる業なのである。 だから、賭けが成立する。

「必ず株主の利益になるようにしろ」とは、 賭場で、「俺だけにはいい出目を出せ」と言いがかりをつける 了見知らずの言説のように聞こえるのである。

株の売買はギャンブルだが、企業の経営はギャンブルではない。 よい製品やよいサービスを人々の望みに応じて安価に供給するという、 骨の折れる、地道な活動である。 経営者が私利私欲に走れば、たちまちにして、破綻する。 私利私欲はいずれあばかれて、部下を失い、顧客を失って、経営が破綻する。

よい製品やよいサービスを人々の望みに応じて安価に供給するという 地道な働きをピューリタンは神への帰依の証(あかし)と考え、 御堂筋の商人たちは御仏に尽くす(身も心ささげる)行為と考えた。

前者はイギリスに始まる近代商業資本を立ち上げた人々であり、 後者は日本の近世の束の間の輝きともいえる商業資本蓄積の前哨期の人々であった。 神や仏にささげるくらいの心がけがなくてはビジネスはできないということである。

企業を賭けの対象にする人々は、法律によって存在が許されてはいる。 しかし、賭けの対象にされる企業が、賭事師の言うなりになる必要はない。

後に続く者たちよ、「経営者は株主の利益を最大にする責任がある」という 迷信にだまされてはならない。 荒ぶれる大自然に立ち向かう修験者のように、 心にやましいことのすべてを消し去り、 等価交換よりは、わずかにでも多くの利益を市場の顧客たちに渡せるように知恵を絞り、 汗をかくことに専心してほしい。

顧客からの信頼があれば、やがて利益はめぐってくる。


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