(35)2008年、高まる市民の自立に潮目あり
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2008/01/01
当社の設立はおよそ27年前、1981年の3月だった。
私もまだ若く血気盛んだった。
設立のスローガンは、生意気だったかもしれないが、
「最新の科学技術を万人のために」であった。
当時は、何もかもが一握りの特権的な人々の手の内にあった。
政治、経済、教育、行政、・・・。人々は形式上の平等の中にはいたが、
知らされず、思うところもなく、まだまだ操られる存在だった。
私たちだけでは多くのことはできないだろう。
しかし、せめて「最新の科学技術を万人のために」解放し、
伝えることはできるに違いない;
人々は最新の科学技術を身近に理解できるようになることと、
それを容易に利用できることを望んでいる;
ここに社会的貢献の機会があり、我々のビジネスチャンスもある;
喜ばれて対価もいただける仕事こそ、生涯をかけるに値する仕事だ;
と、当時、私は強く心に誓った。
それが、理工学書の出版と技術計算のシステムハウスを兼ねる、
当時としてはたいへん珍しい企業の船出だった。
あれから、およそ一世代の年月が経過して、
人々は社会のあらゆる分野で社会のいたるところで市民権を獲得すべくあがき、
傷つきながらも成長し、いたるところに市民が参加している社会を作り上げてきた。
社会のいたるところに市民が参加したり、
いたるところに目が届くようになってきたのである。
この動きは、全世界で同時的に進行してきたのである。
社会のいたるところに市民が参加したり、
いたるところに目が届くようになっているのは、
もはや当たり前になったのである。
「こっそりと隠れて、一部の人が他の大勢を操る」
という時代は終わりつつあるのである。
隠れてやったつもりのこともどこかの前次官のようにばれてしまう時代である。
このようになるまでの変革の嵐の先端を担ってきたのは
いわゆる団塊の世代と言われる人々である。
学生時代は全共闘世代と言われたこの人たちは、
学生時代から「止めてくれるな、おっかさん」と言い続けてきた人たちである。
止めてもやめられない性格を遺憾なく発揮して、
社会の様々な部分で、下積みをいとわず、傷つき、あがき、蹴飛ばされながら、
いつの間にか、組織の、社会の、地域のリーダーになっていった。
私はとうに還暦を過ぎていて、
団塊の世代の皆さんより少し年上であるが、
彼らの働きぶりに助けられ、導かれてきたと言ってよいだろう。
そして、この人々の多くは、今年2008年に定年退職を迎えるのである。
その社会的な変革を助けてきた道具立ての中に、
我らの情報システムの目覚しい進歩があったことは紛れもない。
世間は、これを逆に見立てて、
高度情報化社会が主役であったかのようにはやし立てて来たが、
本質はその逆である。
市民参加を求める広範囲で抗いがたい人々のムーブメントがあり、
その道具としてコンピュータや情報システムが
便利に使われてきた似すぎないのである。
市民参加の巨大なムーブメントが主役であり、
情報システムの発展普及は、その結果に過ぎないのである。
市民参加の巨大なムーブメントの時代が完成に向かって収束期に入っている。
社会に参加してしまった市民は、
今や単に社会サービスを受け入れる受身の市民でい続けることはできない。
自分たちが社会サービスを提供する市民にならなければ、その存在が問われるのである。
食品、健康(医療)、介護の自助組織は 2005年頃を境に大きく成長した。
次には、自警、防犯、などのための
市民の自助組織が広がる時代が間もなくやってくるだろう。
2008年、すなわち今年は、団塊の世代が大量に退職するのだから、
かれらは既存の組織を離れて市民主権の活動をますます盛り立ててゆくことになるだろう。
我々以外の情報システムにかかわる企業と人は、目先の利益に汲々としていたり、
はなはだしきは、目先の利益だけを追って社会的糾弾を受けて倒産したりしている。
時代の流れを読み切り、その先を知っているのは我々である。
我々にチャンスはある。
チャンスを生かすも殺すも、当社の後継者たる君たち次第である。
与えられているチャンスは、
社会サービスに自らの力で立ち上がる市民の皆さんの力になること、この一点にある。
かつて「最新の科学技術を万人のために」というスローガンを掲げ、
今も掲げている当社は、はからずも、その波頭に立っている。
追って来る者もいるだろう。追い越して行こうとする者もいるだろう。
形をまねて魂入らずの者たちは、ほうっておけば、自滅する。
なにも心配は要らない。ただただ、ほうっておけばいい。
しかし、われらと同じような心正しい者が、我々の動きを察して、
後から追いかけてくれば強いライバルとなるだろう。
ライバルは大歓迎である。
我々は、その昔から、社内でこう言い習わしてきた--
「競争とは、競って諍わぬことである」。
強いライバルの出現はあるはずであると、ただただ心に秘めて、
一層、心を磨き、技を磨き、自立する市民の力になろう。
今年も、一つ一つ、一歩一歩、わが身を磨けば、
行く道をしっかりと見据えた我々に怖いものはない。
われらに勝機あり。
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