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(58)知能を育てる(その5)

レインマン(サヴァン症候群)に見る小脳の能力と大脳の能力

http://shyosei.cocolog-nifty.com/shyoseilog/2008/03/559_a6f3.html

2008/03/21

「レインマン」という映画を見た人は多いだろうか。 私は残念なことにまだ見たことはない。 レインマンは、サヴァン症候群といわれる人を比較的忠実に描いたものといわれている。

サヴァン症候群とは、知的障害があるにもかかわらず、 特定の分野の能力はとてつもなく優れているような症状を示すものである。

考えにくいかもしれないが、例としては、次のような症状が知られている。

特定の日の曜日を言える(カレンダー計算)。 ただし通常の計算は、1桁の足し算でも出来ない場合がある。
航空写真を一瞬見ただけで、細部にわたるまで描き起すことができる。映像記憶。
楽譜は全く読めないが、ピアノで弾いた曲を聴き、最後まで間違えずに弾くことができる。
書籍や電話帳を、一回読めばすべて暗誦できる。内容の理解を伴わないまま暗誦できる例もある。
芸術性の非常に高い作品(絵画、彫刻など)を作ることができる。健常者およびサヴァンの幼児の描画を比較参照(Discover(2002年2月号)p.46,47。ただしNadiaの描画時の年齢3歳とあるのは5歳の誤り)。 並外れた暗算をすることができる。

この他にも様々な能力(特に記憶に関するもの)がみられるが、対象物が変わると全く出来なくなってしまうケースがある(航空写真なら描き起こすことができるが、風景だとできない、等)。

引用: 「サヴァン症候群」、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 、2008.02.29


どうして、こんなことが起こるのか、以前の記事に取り上げた図を少し修正して、 仮説を立ててみよう。
下記の画像をクリックすると大きく表示することができる。

通常のヒトは、記憶を構成(知識獲得部)したり、知識を利用して推論(推論部)したりする部分は大脳にある。 図の緑の矢印に沿って知識の獲得とその利用が行われる。 この知識獲得部や推論部が欠けているか、著しく脆弱であっても、 記憶部だけは正常である場合には、残された脳の部位を利用して記憶部に記憶を送り込み、 定着した原初的記憶を再生して音声や動作に表現することができるようになったヒトが サヴァン症候群という人たちであろう。

知識獲得部や推論部だけではなく、記憶部にも何らかの障害を負っていれば、 普通の知的障害であり、知識獲得部や推論部は正常なのに記憶部に障害がある場合には、 記憶障害と呼ばれるに違いない。

知識獲得部や推論部が欠けているか、著しく脆弱であっても、 記憶部だけは正常である場合では、記憶の構成は高度化せず、原初的記憶の範囲を大きく超えることはないだろう。 知識獲得部と推論部が現実と悪戦苦闘の試行錯誤をする中で記憶の構成の高度化が進むと考えられるので、 知識獲得部と推論部に障害があれば高度化の弱い記憶になるに違いない。 それでも、他の大脳の一部、または小脳を使用することができれば、 記憶部に記憶を送り込んだり、その記憶を基に言葉や図示、 リズムや音曲、反射的で繰り返しの動作に表現することも可能だろうと思われる。

上図にはサヴァン症候群を意味するものとして小脳を経由した矢印を黄色で描いたが、 実態はもっと複雑で部分的には大脳の利用できる他の部分を利用し経由するものもあって 複合しているに違いないと思う。 大脳系でもクロマニオンの子孫らしく網目状知能をもって応用能力を発達させる人ばかりではなく、 応用が利かない単線型思考様式を事柄ごとに発展させることしかできない ネアンデルタール人風の思考形式(「相互乗り入れなしの複線型」)の人も混じっているに違いない。

しかし、ここでは簡単のために小脳経由だけの図を描いた。

複雑であるに違いないが、経由部分が小脳にあることが多いことはたぶん間違いがないだろう。


人工知能の世界にはニューロネットワークという技術がある。 これは、1957年に心理学者フランク・ローゼンブラットによって提案されたモデルを利用するもので、 その後にさまざまな発展を遂げている。

1970年頃、David M.rとAlbus,J.Sによって小脳がパーセプトロンであるという仮説が提案され、 1982年伊藤正男によって、実証されることになった。

参考: Ito,M., Sakurai,M. and Tongroach.P., Climbing fibre-induced depression of both mossy fibre responsiveness and glutamate sensitivity of cerebellar Purkinje cells.,J.Physiol.(Lond.), 342, 113-134, 1982.

小脳の働きは、反射的で定型的である。 パーセプトロンはまさしく反射的で定型的に記憶の形成と再生には向いている。 しかし、それ以上の人間的な思考力を示さないのである。 この事実は、人工知能の研究者や技術者は(私も含めて)皆知っていることではある。

小脳は海水からあがった動物が獲得した器官であり、 小脳の構造は大脳と違って反射的行動に適しているものである。 高度な知能とは本来無縁である。 しかし、後に獲得し、人類になって大きく成長した大脳の一部である記憶部だけが使えるとき、 これだけが小脳と協奏的に結びつくことがあってもよいに違いない。

上記のサヴァン症候群の事例(Wikiから)を見ると、 サヴァン症のヒトの記憶とその再生の間には、深い知性的関係は見られない。 ほとんど反射神経の動きというべきである。 反射神経と記憶の結び付きが強力であれば、 サヴァン症候群ということになるに違いないと思わせるものである。


さて、この項でも長々しく述べてきたが、 要するに通常のヒトには知識獲得部の機能と 推論部の機能が記憶部の機能とは別に存在するに違いないということである。 それが脳内物質の種類の違いを意味しているのか、 物理的領域の違いなのかはこれだけではわからないが、 機能は別であることは明白である。

そして、ここで注意しなければならないのはサヴァン症候群は知的障害者でもあるということである。 しかもサヴァン症候群は全世界で数十名であろうと言われている。 ごく希な存在である。 一分野の原初的な記憶にたよる行動だけは他の能力よりは優れているが 健常者に比べて決して優れているわけではないヒトもサヴァン症候群と呼ばれることがある。 その場合はかなりの数にはなるだろうが、 通常の知的障害者といわれるだけで、天才的能力の持ち主というわけではないのである。 天才的能力をもつ知的障害者というのは、原理的に希なケースとなる。

「知性なき丸暗記」とは、知識獲得部をできるだけ活動させないで記憶するものであり、 推論して現実にぶつかってその知識の構成を高度化することも、できるだけしないものである。 ということは、知的障害を人為的に作っているようなものである。 ・・・、受験生の皆さん、高校や予備校の先生方、それで良いのでしょうか。


サヴァン症候群のヒトはすばらしい。「山下清画伯」の絵画に感動しないヒトは少ない。「山下清画伯」がサヴァン症候群だったという証明はまだないが、おそらく類似だろうと思う。しかし、全ての子供たちに画才があるかといえばそうではあるまい。そのような普通の子供たちに人為的知識障害を引き起こして知能を引き下げても、画才が開花することはあるまい。 単純反復動作、反射的行動を教えるだけの教育を知育教育というならば、仮性の知識障害者を無理やり作る教育ということになる。トンデモ教育である。 スキル教育でさえも「やってみせ 言って聞かせて させてみて 褒めてやらねば 人は動かじ」 (伝 山本五十六)なのだから、「言って聞かせ」る必要もあるのであると私は思う。

知識獲得や推論も脳の働きなので、その訓練をシミュレーションで行うことも当然できる 。クイズはアナログのシミュレーション課題である。 学問をクイズのように教えるというのも一案である。 これを「知能教育」というならば、「知能教育」である。 アナログシミュレーションであれ、デジタルシミュレーションであれ、 知識獲得や推論も訓練はできるという意味ではスキル教育である。 呼び名はこだわらない。 「スキル教育」でも「知能教育」でも良いに違いない。

ただし、世に言うスキル教育と知能教育の違いは主として「小脳」を鍛えているのか 主として「大脳」を鍛えているのかの違いである。

「小脳」も鍛えなければならないが、「大脳」も大いに鍛えなければ社会人になれない。 大脳を大きく発達させてサルはヒトになったのである。 大脳を鍛えずしてヒトであろうか。 私は講義中によく「君たちは脳みそに汗を掻きなさい。 スポーツは体中に汗をかいて体を鍛えるが、学問は脳みそに汗をかくんだ」と話す。 大脳に汗を掻くくらいの熱中が起こらないと賢くはならないのである。

「知能を育てる」とは、小脳とともに大脳を鍛えることである。

大脳を鍛えるデジタルシミュレーションは、1980年代に私はその世界の製造の先頭にいたが、普及はしなかった。 tool群が脆弱で工数がかかることが製造上の問題だったが、 教育界は当時から「丸暗記支援」だけを期待していて「知能教育」には関心が薄かったようである。 その後は、私のチーム以外からも散発的に様々な試行がされたが、大きく成功したものはない。 存在しないとはいわないが、デジタルシミュレーションまだほんの少ししか存在しない。 機会があれば、またデジタルシミュレーションのとびきり優秀なものを世に送り出したい という思いもないわけではない。 機会が来るまでは、待つしかない。

さぁ~て、これからも当面はクイズ(アナログシミュレーション)を大いに活用して、 学生の皆さんと一緒に楽しく学習をしてゆきたいものである。


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