異文化体感!ことの始まり? > 企業人生活


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 ちょっとだけ生い立ちについて触れておきます。日本経済が神武景気だった頃、関西にある大学の電気工学科を出て、某総合電機メーカーに入社しました。入社前に学生として必修の工場実習を某社の工場付置研究所で行ない、アナログコンピュータを使うことができました。テーマは出力をフィードバックする回路をつけて計算を繰返し、微分方程式の求解を自動化する試みでした。先輩であるT指導員の指示にしたがっただけですが、これがコンピュータとのお付き合いの始まりでした。

 入社して最初の仕事は、対空誘導弾用電波ホーミング装置の研究でした。高周波技術とのお付き合いの始まりでした。そして時代の潮流に浮かぶ木の葉のように漂いながら30年余、縁あって私大工学部の教員になりました。今もそうですが、技術進歩の激しさには驚くばかりです。

 例えば、あるとき新入社員がすらすらとFORTRANでプログラムを書いているのです。学部の講義ではプログラムのプの字もなかったのに。あわてて設計計算のプログラムを書くため、計算センターの教育を受けたのでした。


 10年一昔と云われますが、FORTRANを使って約10年を経た頃リアルタイムシステムの開発に参加することになりました。FORTRANのような高級言語では応答が遅く性能が出ないというのです。アセンブラを使うしかないと云うのです。しかし、PL-40というシステム記述言語を使えばよいと聞きました。

 ミニコンシステムを使って仙台空港で離着陸する航空機、羽田札幌間を往き来するジェット機の交通状況をデジタルレーダスコープに表示できたときの感激は今でも強い記憶となっています。

 仙台空港に往復する日々に前を通過する岩沼の竹駒稲荷が伏見稲荷と共に日本三大稲荷のひとつであると聞いたのは、岩沼に宿を取って新型二次レーダアンテナオープンアレー評価実験のため仙台空港に毎日通ったときのことでした。コンピュータは主メモリー512kBのミニコンでした。

   

 この写真を見ると,現在のマイクロコンピュータがいかほど小さくなっているか分ります。なお、紙テープリーダのあるのがわかるでしょうか.


 パソコンなどハードウェア、及びソフトウェア、あるいはインターネットの驚くべき発展もさることながら、コンピュータは、情報処理システムとして、あるいは通信装置として我々の社会基盤、経済活動、及び日常生活に不可欠なものとなっています。

 銀行などの預金の出入れ、交通機関の出改札、車両の運転制御、工場管理、機械の運転制御、通信放送などコンピュータシステムの利用は社会生活のインフラとして枚挙に暇がありません。


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