大学教員のミッションは研究と教育です。研究についてはPublish, or perish!と云われています。しかし、おかしな民主主義、教授も助教授も講師も同じ権利と予算という制約条件のもとで研究ができるのでしょうか。教育ができるのでしょうか。
理事長が教授会で時代の流れに沿った大学運営を実施したいと表明したとたんに紛争が発生しました。こんなこと書いていいのかな。もう20年近く前の話です。少子化が大学にもたらす影響は確実に予測されていました。現在、大学は全入時代を迎えています。学生にとっては極楽みたいなものです。同時に、団塊世代の退職時期に当たって、新卒生の就職も厳しくないようです。少子化高齢化は悪いことばかりではありません。しかし、それがいいことかよくないことかわかりません。人間万事塞翁が馬です。
教員はどう対処すればよいのでしょうか。理事会は4名もの教授を罷免するという強行策をとり、教員の理事会に対する反感を高め、教員の結束を強め、裁判沙汰にまで発展しました。企業で身にしみ込んでいた組織の一員として程なく体制派の一員となってしまいました。貴重な体験だったと思っています。なにしろAERAにまで取上げられたのですから。
紛争は半年後に地裁判決、高裁に控訴した段階で和解となりました。ムダなエネルギーの消耗に双方くたびれたようでした。北朝鮮問題を持出すまでもなく、現在でもあちこちに紛争は見られます。人間のサガ(性)なのでしょうか。
教育とは
教員の仕事は、教育です。とは云っても
親が行けと云ったので、止むなく顔を出しているやる気(M,0<M<1)のない学生を教育することはできないと思われます。
教育とは云っても学生は生きものだから環境さえ整えれば、
放っておいても育ちます。
教員の大事な仕事はよい教育環境の提供だと思います。
追記)
[blogs.yahoo.co.jp/sokam5/archive/2009/10/03 教育は農業だ]と書いたことがあります。
最近、成君憶、深川訳「人を動かす劉備、合理主義の曹操」
ダイアモンド社('09/10月)を読みました。人生の目的は自立である。
庭師のこころで10年後の成果を目指して樹木を育てるように自分の
人生を育てる、庭師の心で部下を伸び伸びと育てる人間本位の
劉備の信条、これは、孔子の仁者愛人に通じる、と述べています。
まったく同感と意を強くしましたが、教師は庭師だとまでは
踏み切れませんでした。教師は田舎の髪結い、結うだけです。
環境をどのように整えたらいいのでしょうか。教育効果がより大きく上がるようにすることが目標になります。教育効果はどのようにして評価できるでしょうか。インプットをより多く、処理能力をより高く、しかもアウトプット能力を高めることです。
情報、あるいは行動をより多くインプットするには、理解力(U, Understanding)が必要です。処理能力を高めるには、判断力(D, Decision)が必要です。アウトプットを大きくするには、コミュニケーション能力(C, Communication)が必要です。
結局、教育効果(E, Education)は、
E = M x U x D x C
で表現できると思います。教育の効果Eを最大化するには、Mをできるだけ1に近付け、U→D→C のサイクルを何回廻せるか、U, D. Cの速度を最大化する、ネットの性能でいうと、ブロードバンド化を計ることと云ってよいのではないでしょうか。
もっとも難しくかつ大切なのは、動機付けかもしれません。動機付けの効果的な方法は、小さな成功体験の積み重ねだと思います。マンツーマンの指導が求められます。指導する側にもされる側にも大変な努力が必要です。