講義の始めに起立、礼の儀式を行ないました。ざわざわと賑わっていた空気を引き締めるためです。単に「おはようございます」と声を出すだけでなく、学生全員を起立させ、代表を選んで指定し、「起立、礼」と発声してもらうのです。そして「着席」と続きます。
「起立、礼」は席を立ち上がったり、座ったりする分だけ、少しは気分も変わります。いささかこちらも気恥ずかしい行動であり、それほど私語が気にならないときは起立・礼もやめてしまいました。
教育とは、手間のかかるしごとです。経済合理性など該当しないように思います。生き物だから自ら育つ。ということは、工業でなく、農業だということになります。
やる気のある学生が多くゼミの進度が捗ったりすると、つい今年は豊作だ、とうれしくなります。年度によって不作だったり、当たり外れがあると云われます。環境さえよければ、勝手に成長します。まさに教育は農業です。
農業だとすると、豊作の年もあれば、不作の年にも当ります。毎年、工夫を続けることになります。
教育の場で一番求められるのは、学ぶ側のやる気、学習意欲です。教える側に求められるのはやる気を出させる環境の提供です。それには、目標を示し、目標に至る道筋を示すことでしょうか。といって、学ぶ側に考えさせることも必要です。何でも与えればよいという訳にはゆかないところが難しいところです。考えさせないと、理解力、判断力の向上は期待できません。
考えさせる一番良い方法は、何かをさせることです。特に、教育実習、わずか2週間の体験で学生が大きく成長するのを経験しました。まさに、教えることは学ぶことです。ものごとを学ぶ一番よい方法は、ひとに教えることです。
試験監督
ここでの試験とは、通常の筆記試験のことです。目的は、講義の理解度を確かめることです。成績を付けることも大きな目的です。問題を作成し、試験場で配布すると、あとは不正行為がないか見張るだけで他に何もすることがありません。
寒いこの季節にセンター試験があり、全国規模で行なわれます。規模が大きいだけに公平を期することは大変です。何度かその監督も経験しました。全入時代を迎えて少しでも入学者を増やすためセンター試験に参加する、試験会場を提供する、少しでも学生に来て頂こうという私大が増えてきました。ここでは、教員としては問題作成の苦労?楽しみもまったくありません。ただ機械的に監督するだけの単純労働に従事することになります。大学の個性が問われる時代にこんなことでいいのかと疑問を抱くことしきりでした。
評価は正確にすべきですが、正しく評価するには一度の試験でなく、講義の都度できるだけ何度もテストを実施するのが本当のあり方ではないかと考えています。教育とは手間のかかる仕事です。
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