我が国でお寺や仏像の造営が盛んになったのは朝鮮半島から仏教が伝えられてしばらく経った600年前後のこと。崇仏派の蘇我氏と反対の物部氏との争いがあったそうな。物部氏が敗れ、崇峻天皇元年(588)に蘇我馬子が飛鳥寺を建立する。
十一面観音:観世音菩薩は、世の人々の救いを求める声を聞いて、それぞれの苦しみに応じて三十三の姿に変わって人々を救う。千手観音など多くの顔や手、目などを持つ不思議な形相の、総称して変化観音が伝来し、その強力な救済力が人々の信仰を集める。
仏教に神々を凌駕する力を期待し、仏教を政治の基礎とした奈良朝廷が成立したらしい。
平安時代初期には、最澄と空海が天台宗と真言宗を開く。ともに山林で修行し、その体験と深い仏教理解の上に、万物の仏性を認め、一木一草にも成仏の可能性を認める日本的な仏教を築いた。
山の神々は仏教と融和し、仏教の守護神として祀られた。例えば、高野山には堂塔建立に先立ち、この霊地に空海を案内したという高野明神が祀られた。神々が仏教の力によって苦悩から脱しようと考えたが、やがて我が国の山河に深い聖性を認める仏教は、神々との関係を変え、本地垂涎説、すなわち、神々は仏菩薩が人々を救うために姿を変えて現れたものとした。平安中期から神の本来の姿は仏であるとする。たとえば、熊野十二所権現でも本地仏が決まっていた。本宮が阿弥陀、速玉社が薬師、那智が千手など。
鎌倉時代になると、もともと自然と結び付いた神と、自然に聖性を認める仏教とが結び付いて神と仏の融合した世界観が完成する。
神仏習合が進んで、仏菩薩が本地、神々が垂涎といった理屈も、仏教は外来、神道が日本古来とか詮索する必要すらなくなった。神仏と自然とが融和した自然観は我が国文化の深層を形成していると思われます。
以上、片山寛明「日本の神と仏」MIHO Museum(2000) を参考にしました。なお、MIHO MUSEUM は、滋賀県甲賀郡信楽町の山中、自然のなかにあります。自然景観を損なわぬよう8割が地下ですとか。