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<rss version='2.0'><channel><title>コの業界のオキテ</title
><link>http://karetta.jp/book/okite</link
><description></description
><lastBuildDate>Tue, 16 May 2006 19:20:36 +0900</lastBuildDate
><item><title>★書籍のご購入について</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/004913</link
><pubDate>Tue, 16 May 2006 19:20:36 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;『コの業界のオキテ!!』を印刷物、
つまり本として手に入れることができるようになりました。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;今回は、オンデマンド印刷で、
購入希望者が発注する毎に一冊単位で印刷し、
送本することになりました。
もちろん、まとめて何冊も購入されるのは大歓迎です。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;詳しくは、本書を復刊した
&lt;a href=&#39;http://talpa-tech.com/&#39;&gt;Talpa-Tech&lt;/a
&gt;
の本書の解説ページ
&lt;a href=&#39;http://talpa-tech.com/titles/4-903408-00-0/index_html&#39;&gt;『コの業界のオキテ!!』&lt;/a
&gt;
をご覧下さい。
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>参考文献</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003121</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 21:05:12 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;本書で取り上げたり、内容的に関連する書籍などを列挙し、若干の説明を加える。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;1. 『Ｃプログラミング診断室』拙著、技術評論社、１９９３年&lt;br /&gt;
技術評論社の雑誌『Software Design』の連載記事を単行本化したもの。プログラ マのために、問題点を業務上の本当のプログラムから取り上げ、改善方法も具体 的に示す。技術分析から心理的分析までに及ぶ。本書のプログラマ版である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;2. 『電脳曼陀羅』、中村正三郎著、ビリッジセンター、１９９５年&lt;br /&gt;
技術評論社の雑誌『ざべ』の連載記事事件を単行本化したもの。内容を理解する には、コンピュータについて相当高度な知識を必要とする。本来はパロディであっ た。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;3. 『お役所の掟』、宮本政於著、講談社、１９９３年&lt;br /&gt;
4. 『在日日本人』、宮本政於著、ジャパンタイムズ、１９９３年&lt;br /&gt;
5. 『お役所のご法度』、宮本政於著、講談社、１９９５年&lt;br /&gt;
官僚組織内部の問題を、内部にいる官僚が赤裸々に書いたベストセラー群。読め ば、胸がすかっとすることが確実だ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;6. 『お役人さま！』、廣中克彦著、講談社、１９９５年&lt;br /&gt;
都庁出入り業者が、実際の仕事を通して役所の問題点を書いた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;7. 『墜落−ハイテク旅客機がなぜ堕ちるのか』、加藤寛一郎著、講談社、１９９４年&lt;br /&gt;
航空工学の専門家が、名古屋空港で墜落した中華航空機などのハイテク機の墜落 の問題点を解説した書。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;8. 『ＳＥクライシス』、越川亘著、須崎一成画、オーム社、１９９２&lt;br /&gt;
ＳＥ（システム・エンジニア）とは何かを、一般の人にも分かるように解説しよ うとした書。かなり成功しているが、旧時代の開発方法や、片寄った考え方も見 られる。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;9. 『プログラマークライシス』、新寺修、東稜共著、須崎一成画、オーム社、１９９２&lt;br /&gt;
「ＳＥクライシス」の姉妹編で、著者の周囲の「デキゴトロジー（週間朝日の連 載コラム、新潮文庫）」を目指したもの。しかし、かなり旧態依然としたレベル の低いプログラマの世界しか描いていない。現実のレベルの低さを強調している のかどうかは私には不明。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;10. 『これでもあなたはパソコンを買うのか』、野沢豊著、新泉社、１９９５&lt;br /&gt;
陳腐化が激しいパソコンを一般の人が購入するとどういう運命をたどるかを説い たパソコン不買運動の書。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;11. 『秋葉原コネクション』、島川言成著、アスキー、１９９４&lt;br /&gt;
秋葉原のパソコンショップの裏事情を綴ったエッセイ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;12. 『岸田孝一、Σを語る』、ＵＮＩＸマガジン、１９８７年８月号
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;13. 『Σ計画の総決算--２５０億円と５年をかけた国家プロジェクトの失敗』、日経コン ピュータ、１９９０年２月１２日号、日経ＢＰ
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;14. 『日本語情報処理 Understanding Japanese Information Processing』、Ken Lunde、 O&amp;#39;Reilly &amp;amp; Associates, Inc., 1993&lt;br /&gt;
コンピュータ上で最も普及している米アドビ社の和文フォント制作マネージャー が、日本語のコンピュータ処理について英語で書いた。日本国内でも、これだけ きちんと日本語情報処理をまとめた本は出ていない。 １９９５年夏に翻訳が出る予定。 
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;プログラム開発の問題点を指摘した本は、ワインバーグ氏の心理学的分析に基づいたものが群を抜いている。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;最近では、小説家がパソコンやワープロを使うのは常識になってきた。さらに、パソコンネットに参加したりする挑戦的な作家も出てきた。元々文章を書くのが本職なので、パソコン通信を行なうと、コンピュータ技術者の稚拙な読み物と違い、すばらしい活躍をしたりしている。著名作家がパソコンなどに関する書物も出しているので、参考までにあげておく。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;15. 『電脳兄弟のパソコン放浪記』清水義範、清水幸範共著、朝日新聞社、１９９４年&lt;br /&gt;
16. 『もとちゃんの夢日記』新井素子著、角川文庫、１９９５年&lt;br /&gt;
17. 『俵万智のハイテク日記』俵万智、朝日文芸文庫、１９９５年 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>あとがき</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003119</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 20:57:49 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;もう２０年近くコンピュータの世界で生き延びてきたが、その間に私の周囲で起きた理不尽極まり無いことが頭の中にどんどん蓄積し、その中から適当なエピソードを暇々に文章に仕立てていた。そのうち、１冊の本にするに十分な量になったところで、どこかの出版社から出そうと思っていたのであるが、内容が内容だけに、多くの出版社は逃げ腰になってしまう。そういうとき、技術評論社の人と別件で会っていたときに、この本が書き上がりつつある由を言ったら、見せて欲しいと言うことで、出版の日の目を見ることになった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;どの産業界でも、結構裏は汚ない。コンピュータ産業は、何といっても花形産業であり、急激に伸びてきた分野だけに、各社の魂胆が入り乱れていて、その実態は酷いものである。とくに、一般の人には近寄りがたく、また最初から難解至極な仕事と思われ、畏敬の念で見られることも多いが、それを逆用して無茶をする企業も後を絶たない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;本書は、一言で言えば、「暴露のオンパレード」である。だから、胸のつかえを一気に吐き出すように書いたと思うであろうが、これでもまだ相当セーブしながら書いている。個人や特定企業を攻撃するのは目的ではないので、固有名詞は伏せてある。それ以外に、内容的に何処まで明確に書くかの線引きが難しい。また、今の日本の文化水準では、どこまで公表しても問題にならないかの検討もあった。問題にならないのも実は出版の目的からは困るのだが、問題になり過ぎるのも困るのである。 本書の出版を苦々しく思っている者がいることも知っているが、その程度の人間とは、これを契機に縁が切れればもっけの幸いである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;私は、コンピュータの研究開発と執筆、編集などを長年やってきたため、一般のコンピュータ技術者以上に馬鹿げた事件に遭遇したことはあるかも知れない。しかし、重要なことは、私自身が当事者またはその周囲にいたために見聞きしたことを書いていることだ。取材などは一切行なっていない。取材は、いくら行なっても、当事者にはなれないし、どこまで頑張っても聞いたことを整理したり、分析したりする程度に過ぎない。やはり、内部に身を置いていることが最も重要であり、偶然そういう立場になった者が実態を曝け出すことは、非常に意味がある。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;なお、全ての企業や個人がこの本で書いているような無茶をする訳ではない。殆どの技術者は必要以上に真面目であり、その他の人達も、多くは真面目である。殆どは有能ではないが、まあ真面目である。しかし、日本のコンピュータ社会全体が相当に病んでいることは、本書に書いた通りであることは保証する。また、一般の技術者のレベルも相当低く、東南アジア諸国に抜かれるのは時間の問題とも言える。一般の人達も、そういう諸々の状況を知った上で、コンピュータと付き合って欲しい。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>コンサルタント</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003199</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 20:56:58 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;コンピュータは変化が激しい世界である。大部分の人々は、その日々の急変についていくことは困難であろう。プログラマでさえ、過半数は３５歳までには落伍者になっている。こういう激しい世界に、一般の人が直接立ち向かっていくのは、あまりにも無謀と言えるだろう。それでも、１００人に一人くらいは正しく判断し、正しい行動を取ることができるであろうが、そんな無理はしない方が良い。多くの人が、自ら判断し、失敗していくのは残念なことだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;しかし、自ら判断し、行動することが悪いと言っているのではない。非常に危険である、と言っているのである。その危険も考慮に入れた上で、自社のコンピュータシステムの将来像を描くのなら良い。そのくらい分かっているならば、授業料として払った金額以上の十分な経験を獲得し、次のステップに役立てることができるだろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;人間、一人で知り得ることには限界がある。たとえ数名集まったにせよ、同種の人間が集まったのでは、知り得ることに若干幅ができるくらいに過ぎない。分からないことは人に聞くに限る。世の中、色々な専門家がいるものだ。専門家ならば瞬時に適切に判断できることを、自分で時間をかけて悩むことはない。だいたい、悩む理由の多くは、無知による。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンピュータについては、コンピュータの専門家に聞けば良い。最終的な判断は当然自分で行なうのであるが、必要な情報は専門家から入手すれば良い。自分で同等の資料など、いかに努力しても集めることはできないだろう。また、資料を集めたって、短時間で資料を読みこなすことは到底できないだろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;それよりも、今まで何度となく書いたように、コンピュータの世界では、様々なイカサマが行なわれており、それを何とか見ぬかなければ大変なことになる。これが絶対に良い製品です、と薦められたからといって、それを購入するのがベストかどうかは難しい。一番当てにならないのが割引率である。「安物買いの銭失い」という諺は、コンピュータの世界にはそのままでは通用しないが、自分に適さないコンピュータを買ってしまったら、動かないコンピュータになってしまい、事務所や家庭の粗大ゴミになるだけである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;そういう諸悪から自分を守るために、是非コンピュータ・コンサルタントを利用していただきたい。コンピュータに関する顧問弁護士というか、企業診断士というか、そういう人を利用するのである。今は、コンピュータ関係の資格試験も種類が増えていて、コンサルタント的な資格を意味するものもあるだろうが、そういう意味で言っているのではない。コンピュータに関して十分な能力があり、人間的にも信用できる人を早く見つけて、適宜指導を受けるとよいだろう。それに、試験というのは、あくまでも過去についてのものであり、次々に変化するコンピュータの世界でどれだけ有効かは分からない。有効期限のない資格試験なんてコンピュータの世界で意味があるのだろうか。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンサルタントの利用は、コンサルタント自身が持っている知識などに限られる訳ではない。コンサルタントの持っている人脈こそ利用させてもらうべきである。いくら優秀なコンサルタントでも、一人の知識や経験には限度がある。優秀な人には、その裏に、強大な人脈がある。必要に応じてプログラマや会社を紹介してもらえば、もっともコンサルタントを生かせるだろう。逆に、そういう人脈を紹介できないようなコンサルタントなら、早く手を切るべきだろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;「聞くは一時の恥聞かぬは一生の恥」&lt;br /&gt;
「問うは一旦の恥問わねば末代の恥」&lt;br /&gt;
という諺がある。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンサルタントは、時間単価で言えば大変な高額になる。しかし、指針を誤って突っ走ってしまい、時間と金を無駄にし、チャンスを失ってしまっては、コンサルタント費用をけちって墓穴を掘ったことになる。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;今までに、大手企業のコンピュータ関連部門を多く相手にしてきたが、コンピュータ・メーカーなどのごく一部を除くと、あまりにも下らない失敗が多かった。優秀な企業ほど相談にやってくるし、失敗を隠さない。その反対に、下手ほど失敗を隠す。２０年近くコンピュータをやってきて、このことだけは確信を持って言える。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;だが、コンサルタントにも気を付けなければいけない。無能だが、金額だけ高いコンサルタントも少なくない。くれぐれも、威厳とか、服装とか、調度品とか、知名度とか、肩書きとか、そういうものに惑わされず、コンサルタントがどれだけ自分にとって役に立つかを判断できる目だけは持って欲しい。もちろん、自分にとって役に立たないと思ったコンサルタントは、早々に別のコンサルタントに取り替えるべきである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンピュータ産業は、その根本において経済的には顧客、利用者によって支えられている。メーカーもソフトハウスも顧客から支払われる代価で生存している。敵対するものではない。メーカーやソフトハウスがコンピュータについての知識が豊富なのは当り前、それが彼等の仕事である。しかし、必要以上に卑屈になることはない。対等に付き合えば良い。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンピュータが社会に浸透していけば行くほど、コンピュータ自体を商売の対象としていない顧客であるエンド・ユーザーが増えていく。最終的には、コンピュータ産業以外の産業全てがエンド・ユーザーと言えるようになるだろう。日本ではエンド・ユーザーの力が欧米に比べて非常に弱い。大学も非常に弱い。コンピュータの最終的利用者こそ重要であり、かつ数においても圧倒的に多い。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンピュータは、そもそも、コンピュータ・メーカーやソフトハウスのために存在しているのではない。使うために存在しているのだ。使うためにメーカーやソフトハウスに協力を求めることは必要だが、もっと自信を持ち毅然とした行動をしてもらいたい。無理して永久に同じ会社と付き合う必要はないではないか。そうでないと、いつまでたっても、日本のソフトウェアのレベルは欧米に大いに遅れを取ったままではないかと思う。メーカーやソフトハウスの選別を大いにして欲しい。良いところが成長し、悪いところがどんどん衰退するのが自然の摂理である。必要ならば、コンサルタントの応援を頼むと良いだろう。しっかり選別をしないと、やがて自分自身が選別されてしまうだろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;そういえば、ある団体で、本当に優秀な技術者を認定しようとしたことがあった。しかし、もちろん上手く行かなかった。優秀な技術者を選定するのは、同時に、選定されなかった人は選ばれた人より何かしら劣るところがあると受けとられる。コンピュータ業界では、一応口先だけでも、自分の会社の技術者が優秀であると言っていないといけない。だから、技術力そのものを認定するようなものは非常に難しい。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;もちろん、業界の内部深くにいる人には、何処の誰が優秀かは互いに分かっている。誰が、どの分野で、どのくらい優秀かも分かっている。だから、実は、認定は本当はそれほど難しい訳ではない。ただ、政治的な駆け引きのために出来ないのだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;優秀な技術者について、どのくらい高い技術レベルか、得意分野が何か、ミスが非常に少ないとか、非常に高速に動くプログラムを作れるとか、複雑な処理もこなすとか、巨大なプログラムもへっちゃらとか、発想が豊かとか、そういうこと一切を盛り込んだリストを作成して、インターネットへでも流せば、今の馬鹿げたプログラム開発の状況は一変するのは確実だ。こういうリストがあれば、わざわざコンサルタントに相談するまでもなく、最適な技術者とコンタクトできるだろう。でも、政治的に無理だろうな。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;日本では、コンピュータ社会の問題点を書いた本が皆無である。パロディ化したもの、暴露だけに終わっているもの、抽象論や一般論で終わっているものはあるが、現実逃避をせず、正面から取り扱っている本は、今のところ私は見たことがない。これこそが、私がこの本を書いた理由である。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>本は信用できるか</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003197</link
><pubDate>Fri, 29 Sep 2006 11:01:31 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;コンピュータについて分からないことがあったり、新しいことを知りたくなったら、雑誌や本を見るだろう。本の場合には、よく売れている本とか、有名な人が書いた本とかを買おうとするであろう。有名とは、いっぱい本を出していることを意味するであろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;しかし、これには大きな誤りがあることが多い。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;まず、たくさん本を出している人だが、けっこう危ないのがいる。良く知っている人が本を見ると、著者の能力とかが分かってくる。量は書いているので、文章的にはうまい人が多いのであるが、実際にどの程度コンピュータを使いこなしているか怪しいことがある。殊に、プログラムの作り方の本には怪しいのが多い。実務に堪えるようなプログラムを書いたことがないのではと思わせる著者が少なくない。執筆プロだが、プログラムのプロでない人が結構多いのだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;そもそも、本という非常に限られた紙面で、業務で使うようなプログラムの説明をすることは難しい。せいぜい概略を述べられるに過ぎない。多くの本の場合、総花的にできるだけ多くのことに言及しようとして、非常に小さな、説明のしやすい単位のことばかりになりがちである。ひどい本になると、書かれている方針に従いプログラム開発を行なうと、プログラム開発そのものが空中分解することが必至のものもある。どうも、プログラムが作れないから、本でも書いているのではないかと思われる者がいる。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;良い本、悪い本、あるいは良い著者、悪い著者を何とか読者に知らせたいと思い、参考文献１の拙著の付録で言及した。つまり、実際に出版されている本に対して、本の評価と著者の評価を試みた。良い本は良い、悪い本は悪いとはっきり書いた。色々なコンピュータ雑誌に、新刊紹介やら書評が載っている。しかし、回りくどく、結局何を言っているのか分からないようなのが多い。文芸評論などでは、著者を完全に馬鹿にしてこき下ろしているものが多数ある。あそこまでやれとは言わないが、今のコンピュータ関連図書の書評は馴れ合いと思う。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;以上は図らずもプログラムを書く人、プログラマへの話になってしまった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;非常に有名な大学教授で、いっぱい本を出している人がいる。よくもこんなに書けるなと思う人であるが、偶然その理由が分かってしまった。結局、書いていなかったのだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;前いた出版社で、その先生のテレビのパソコン講座のテキストを作ることになった。本来は私の仕事ではなかったが、ある日から私の仕事に突然なってしまった。本を作る訳だから、原稿とまではいかなくても、方針とか希望ぐらいは出てくると思っていた。しかし、テキスト発売まで、一切の指示は出てこなかった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;内容は、編集部で適当に検討し、原稿とプログラムを全部作る羽目に陥ってしまった。テレビ講座の方は、あまり無事でなく終わった。まあ、あれでは、視聴者の方が可愛そうである。早く終わって良かった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;その先生と私の仲間が共著で本を出したのを後で知った。聞いてみると、仲間が全部書いたそうだ。「またやったな」と思った。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;まあ、コンピュータ出版業界では、そういうことで有名な先生である。しかし、世間では有名であり、近年のコンピュータの普及には結構貢献していることも確かである。学術的にどうかは、私は良く知らない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;そうかと思うと、決してそういうことはなさらない大学教授もいる。大学の研究室の輪講に、私は学外スタッフとして加わっていた。有名な洋書であり、その翻訳は学術的にも評価に値するので出版することになった。こういうときに、超有名な大学教授に監修になってもらうことは良くある。まあ、その方が売れるからだ。それに、輪講をしていた研究室の教授でもある。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;本ができ上がったので、打ち上げパーティを行なうことになり、大学の近所の日本料理屋で行なうことがインターネットを通じて関係者に知らされ、私ものこのこ出かけていった。実は、輪講の参加者が各所に散らばっていたので、翻訳、編集作業もインターネットを通じて行なわれた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;翻訳本であるので、監訳者は訳者まえがきがあったが、監修者の教授は何もしなかった。本当の名前貸である。実質的な貢献と言えば、教授の顔で有名な出版社を引っ張ってきたことだろう。それで、若干の監修料が支払われたのであるが、受けとらず、全て打ち上げの酒代にしてくれた。あまりにも真面目で、頭の下がる思いである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;この教授は、コンピュータの応用技術では世界第一級のレベルであり、日本の産業界はもとより、世界の学会をもリードしていることは良く知られている。教授の発言は、研究室では「神の声」とか呼ばれていた。皮肉も少なからず入っているが、本当に神様である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンピュータの世界では、第一線でプログラムを開発している人は非常に忙しい。だいたいが開発競争に巻き込まれており、じっくりと本を書いている暇がないのが普通である。また、実力があり、有名にもなってくると、執筆依頼が多数の出版社から押し寄せてくる。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;知り合いの一人に、インターネットに極度に詳しい技術者がいるのだが、彼の所に執筆依頼が集中砲火のようにやってきたという。私にも来たが、「私は不適任です」といって、彼を紹介したから、ますます集中した。インターネットの本は、出せば売れるということで、様々の出版社が、手も替えず品も替えずに出版を試みている。内容的に大した本は殆どないので、読者はよくよく注意して買うべきだと思うが、出す方の節操のなさは凄まじい。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;諸外国には、良い本が出版されるような制度がいっぱいある。たとえば、大学では、教科書を書くためには十分な時間を割くことが許されている。良い教科書、良い参考書を作ることは、その本の読者の能力アップに繋がる訳だから、社会全体のレベルアップにもなる訳で、非常に重要なことである。どんな優秀な先生が講義をしたって、その講義で直接指導できる生徒の数には限りがある。それに比べて、良い本が出て、それを読んで力をつける人が出れば、その影響は大きい。しかし、日本では、大学の先生でも、本を書くのはメインの仕事になることは殆どない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;私は職業柄、しばしば本屋のコンピュータ書籍コーナーに行く。しかし、近ごろそこで感じることは、どうしてこう似たり寄ったりの本ばっかりなんだろう、ということだ。同じ内容を、手も替えず品も替えずに出しているのが多い。新しい分野の情報は役に立つが、十番煎じも多い。もう少しは、思想とか方針とかはないのだろうか。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;一番多いのが、対象としている分野を網羅的に紹介しているものだ。こんな本、各分野毎に数冊もあれば十分だ。それより、読者に伝えたいことを絞り込み、読者に新しい考え方を伝授しようというような本が欠乏している。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;しばしば書いたように、私は、プログラマの下半分のレベルの人は全然いらないと思っている。それと同様に、コンピュータ関係の専門書の著者の下半分は不要だと思う。もっともっと第一線の人に本を書いて欲しい。さらに、優秀な人にこそ、初心者用の良い入門書を書いて欲しい。高度な専門書は学術的には価値があるが、真の啓蒙活動はもっと重要である。高い知識を持ち、初心者の誤解や悩みをも理解した上で書くことが、最高レベルの著作活動だと思うが、どうだろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;さらに、コンピュータの技術者にこそ、コンピュータ社会の話をして欲しい。ジャーナリストがいくら取材して書こうと、内部から見たことにはならない。コンピュータを操作するためだけの情報しか載っていない無味乾燥な本ではなく、コンピュータの持つあらゆる面、犯罪、金儲け、友情もあれば喧嘩もあり、狐と狸の化かし合い、生活臭さプンプンの本こそ、本当のコンピュータの姿が伝えられる。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;この本を書いている理由もここにある。だから、今までにコンピュータ技術者として私が経験したことを、コンピュータの知識がなくても理解できるように試みている。上手く伝わっていなければ、私の文章力の不足だ。縦書きにしているのも、より多くの人に読んでもらいたい、より多くの人に知ってもらいたいからである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;本の購入を考える時、何物にも捕われず、本屋でしっかり立ち読みをして検討し、自己の判断で買えるようになって欲しい。それができないのなら、十分信頼のおける人の推薦などを利用されるのが懸命であろう。コンピュータ関連書の忌憚のない書評でも出るようになれば、参考にされるのも良い。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;本の中には、ろくでもないのが少なからずあることだけは肝に命じておいて欲しい。発禁にしたいような無茶苦茶が書かれているのさえある。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>意味不明のマニュアル</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003195</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 20:54:04 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;プログラムを入手すると、取扱説明書、いわゆるマニュアルがついている。これを読めば使えるようになると思って頑張って読んでも、全く何を書いているか良く分からないことが多い筈だ。多くのユーザーは、自分の能力を疑い、自信をなくす人が多いようだが、実際にはマニュアルを作る側の能力こそ疑わしい。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;専門用語が突然出てきて、説明もなく使われることがある。でも、この程度なら、調べれば分かることがある。日本語になっていない文章のことがある。一度、じっくりと声を出して読めば直ぐに分かるようなおかしな表現のことがある。文学作品のような、優美さとかを求める必要はないから、正しく意図していることが相手に伝わるような、単純明瞭な文章で書いて欲しい。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;また、マニュアルは、一般の書籍に比べて非常に誤字が目立つ。書籍の場合には、前後関係や関連書籍や知識から誤りがあっても正しながら読むことは可能であるが、マニュアルはそうはいかない。ソフトウェアを使う時、頼りになるのはマニュアルしかない。もしマニュアルに誤りがあっても、ユーザーはその通りに操作してみる。そうして、動かないといって苦情の電話をしたり、使うのを止めてしまったりする。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;マニュアルに誤字が多い理由は、校正がしっかり行なわれていない証拠である。校正作業はちっとも面白くない作業であることは、私も色々書いているので分かる。自分で書き上げた文章を、推敲のためではなく、誤字脱字を捜すために何度も読み返すのは、極めてかったるい作業である。しかし、マニュアルの誤字脱字のために操作ミスをして、プログラムの評価を落としては、どんなにプログラム作りを頑張っても無意味になってしまう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;マニュアルに時間をかけて品質を上げると、クレーム対応に取られる時間が減るので、全体としては時間の節約になるのであるが、短絡的思考の人が多いせいか、そういうことはまず行なわれない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;マニュアルで誤ってくれると困るのは、文章以外の部分である。表とか、図とかが大変重要である。文章よりも、そういう図などの操作例を参考にして動かしてみる。プログラムを使い始めて慣れない間は、マニュアルの操作例の通りを試してみる。だから、操作例に誤りがあると大変だ。数字のゼロ（０）と英大文字のオー（Ｏ）の区別など、見た目では差がないようなことでもコンピュータは区別してしまうので、操作例には最大限の注意を払って欲しい。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;マニュアルの中の、操作編とか入門編というのは、操作がいっぱい載っていて、その指示に従ってユーザーも操作していけば基礎的なことは一応マスターできるようになっている。こういうマニュアルのチェックは、そのマニュアルを書いた人ではなく、そのプログラムの初心者を連れてきて、マニュアル通りに操作をしてもらうと、マニュアルの欠点が良く分かってくる。なまじ知っていると、誤りが記されていても、自分の覚えている通りに操作してしまい、何度校正しても見逃してしまう。しかし、初心者によるチェックを行なっていることは殆どない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;ソフトウェアによっては、何冊もの分厚いマニュアルがついてくることがあるだろう。２０００頁、３０００頁に及ぶことも珍しくはない。しかし、マニュアルが厚いのと、充実しているのは全く何の関係もない。そのソフトウェアを使うことのないお偉いさんが、その量を見て納得するだけである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;大部の場合には、最初どこから読み始めたら良いのか分からないことが多い。そのソフトウェアで行なえることが全て細かく書かれているマニュアルは必要であるが、最初からそういうマニュアルを端から順に読んでいくのは、無茶苦茶に疲れる。どんなソフトウェアの場合でも、実際に使う機能は限られている。機能の数から言えば、枝葉末節が圧倒的に多く、総頁数の過半数を占める。そのソフトウェアのベテランになるとそういう個所も見る必要があるが、最初のうちは見ない方が良い。まずは、全体がどういう風に動作するのかを理解できる入門書的なマニュアルが望まれる。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;しかし、入門書的なマニュアルが付属していることは希である。入門書は、ソフトウェアに付属するのではなく、どうも書店で別に買わなければならないようだ。マニュアルをわざと下手糞にかつ分厚く書いて、読む者の自信を失わせ、別に解説書を買わせようという魂胆ではないかと疑うのは間違いだろうか。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;日本では、マニュアルの評価は非常に低い。メーカーにしても、ソフトハウスにしても、製品開発の主要項目としてマニュアルを掲げているところは少ない。製品の添え物くらいにしか思っていない。最近でこそマニュアル・ライターなる職業も評価されるようになったが、マニュアルを書くための時間は、ソフトウェアの開発時間に比べると、１割にも満たないだろう。費用だって、印刷製本代の占める割合ばかりが多く、執筆、校正など、ユーザーのことを思っての配分はない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;昔、あるメーカーがコンピュータのマニュアルを出す時、日本古典文学大系でも出すのと勘違いしたのか、紙箱入りのマニュアルにしたことがある。マニュアルは外見が立派でなければならないとの思い込みの現われであろう。印刷の方も２色刷で、紙もコート紙という大変高価なものを用いて、高級感を強調したのであろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;しかし、内容は誤りだらけで、ユーザーは二度とその会社のコンピュータを買うまい、使うまいと心に誓ったことが想像できる。ワープロで作って、コピーしただけのマニュアルでも、それを見ることにより正しく操作できれば、マニュアルとしての要件を満たしている。マニュアルの基本を忘れないで欲しい。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;「マニュアルで逃げる」という言葉がある。これは、ソフトウェアに不都合があるとき、不都合な操作をするなとマニュアル中に明記することである。こう書いておけば、少々不完全なソフトウェアでも、ユーザーは危険な操作を未然に防ぐことができ、十分実用に堪えられる。好奇心が旺盛過ぎるのが、わざわざその危険を犯して、コンピュータを停止させたりすることがあるが、そういう者の面倒まで見ることはない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;日本人は、変な完璧主義というか、潔癖性というか、ソフトウェアに誤りは決してあってはならないと信じている馬鹿な連中がいる。しかし、現実のソフトウェアには誤りは必ずある。だから、隠されて事件になるより、トラブルの避け方を明示してくれる方が余程役に立つマニュアルと言える。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;マニュアルこそ商品の顔である。商品そのものである。どんなに頑張って良いソフトウェアを作っても、そのソフトウェアを使うための唯一の手引きであるマニュアルが不備では、ユーザーは使いこなせない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;私は、日本のトップレベルのプログラマのレベルは決して低くはないと思っている。実際、世界に対抗できるだけのソフトウェアを作り上げた連中はいる。アメリカあたりと対等にやっていけるようなプログラムであったのだが、説明書、マニュアルを作る力で完全に負けてしまった。日本のソフトウェアはマニュアルが不備なため、誰も使わなくなり、日本の技術も反映したアメリカのソフトウェアの方が世界制覇をしてしまった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;しかし、非常に残念なことだが、日本のプログラマ達は、未だにマニュアルの重要性を認識していない。これは大学のころから、説明書を書いたりする訓練が全然されていないためであろう。大学における重要な演習としてマニュアル作成を義務づけるべきだと思うが、その一方で、そのようなことを今の大学に行なうだけの能力があるか心配である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;プログラムは書けるが、マニュアルは書けないというプログラマが多い。実に困ったことである。はっきりいって、片輪である。プログラムは、マニュアルを具現化しただけのものである。マニュアルには、マニュアルの通りに動くソフトウェアが付属でついてくるという風に考えられぬものか。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>漢字は外国の手に</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003193</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 20:51:55 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;コンピュータで日本語を扱おうとすると、いちばん問題になるのは漢字である。一般のワープロでは、６３００字を超える漢字が使えるので、もう十分と考えている人も多い。特に、コンピュータ技術者に多い。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;しかし、今のコンピュータの漢字では、残念ながら多くの分野で記述できないものが出てくる。まず、人名、地名、社名が大問題である。６３００字程度では、とてもこれらの固有名詞を網羅できない。適当に別の字を使わなければならない。それで、役所の事務処理をコンピュータ化するため、あらゆる固有名詞をコンピュータの字に変えさせようという動きがある。まあ、はっきりいって無茶苦茶である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;難しい歴史書とか漢籍、教典の類いだけが今のワープロの漢字で取り扱えないと思っている人がいるが、とんでもない。小学校の教科書だって困るのである。森鴎外の「鴎」は略字である。こんな字で印刷している本は、まず無い。「区」は「區」が正しい。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;さらに困るのは、ワープロで原稿を書いて編集部に渡しても、ワープロで使っているコンピュータ文字と現在印刷で使う写植文字には何ら対応がない。だから、ワープロで俗字になっていても、印刷すると正字になっていたりする。さらに困るのは、写植文字は、印刷屋毎に異なる。正確には、写植機毎に異なるのだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;本の中で一番部数が出て、長期間にわたって売れ続けているのが文庫本である。いくら文庫が低調だといっても、人々が読む量から言えば大変比重が高い。文庫本は、文字が並んでいるだけだから、本来ならばコンピュータ化が一番進んでも良さそうな分野であるが、実は一番進んでいない。内容さえあっていれば漢字なんて適当でよい実用書の世界と違い、漢字の形にまでこだわる世界である。そもそも漢字はその形に意味がある。だから、形を適当に略してしまっては、文章そのものが台無しになることも多い。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;テレビゲームなどの低俗と思われているゲームの解説本、攻略本すら作るのに困ることがあるのだ。原稿をどうやってもワープロでは書けないので、手書きで書いて、写植の段階で文字を捜すこともある。ちなみに、電算写植では大体１万文字の漢字が標準で使用できる。今は、殆どの書籍が電算写植で行なわれており、これだけの文字があれば一般的な本は大丈夫らしい。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;漢字は、１９７０年代には殆どコンピュータでは取り扱えなかった。漢字を表示したり、印刷することが重要な研究テーマであった。１９８０年代後半から急激に漢字の使用が浸透し、１９９０年代はワープロの大衆化時代である。今では、作家はワープロで原稿を書くのが当然になった。手書き原稿など、余程実力を認められた人でないと編集部は見向きもしない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;こんなに普及したのであるが、その漢字は誰が作っているだろうか。誰もが日本人が作っていると思っているだろうが、次第に怪しくなりつつある。漢字は、主に中国、台湾、日本で使われている。似てはいるが、それぞれの国の漢字には特徴があり、交ぜて使うなどとてもできない。しかし、漢字についても国際化の波が押し寄せてきている。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;日本政府はまだ何の対策も打っていないようだが、国際規格として中国や台湾の漢字が認められ、将来日本のコンピュータでもその漢字を使えと欧米諸国から圧力がかかりそうな雰囲気すらある。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;規格ではなく、実際に日本で使っているコンピュータ上の漢字を提供している漢字メーカーは日本の会社ではなく、海外のメーカーになりつつある。いくらアメリカがソフトウェアで先行しても、日本語だけは日本人にしかできまいと思っていると、もうやばい状況になっている。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;日本語全般のコンピュータ利用の研究は、本来はシグマ計画などで行なわれるべきだったのだが、殆ど何も行なわれず、成果もない。シグマ計画に限らず、日本語を特に漢字の面から注目し、実用化などを研究している人は、国内には皆無に近い。現在、日本語の漢字についての研究が一番進んでいるのは、アメリカの文字専門会社である。そこの社員が出している『日本語情報処理』（参考文献１４）は非常に素晴らしい本である。理屈だけなら、その著者より詳しい人は日本にもいるが、実際に研究し、結果を論文や本にまとめた人は他にはまだいないようだ。日本ではまだ使えない日本語の漢字を自由に用いながら解説しているのは憎いばかりである。日本の漢字のプロ達はいったい何をやっているのだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;漢字はアルファベットとは根本的に違う。アルファベットは大文字、小文字、特殊記号がついているのも入れたって百個程度に過ぎない。しかし、漢字は何個あるのかさえはっきりしない。画数なんて漢和辞典毎に異なる字もある。部首になるともう混乱も甚だしい。全てが渾沌としているのはいかにも東洋的かもしれないが、このあたりからして認識しないと何もできない。コンピュータ漢和辞典が使える日はまだ遠い。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;マルチメディア、インターネット、電子辞書、電子図書館など、文字を含めたコンピュータの高度利用が進もうとしているが、肝腎要の漢字についての検討は皆無である。興味のある研究者が、これではいけないと、細々と自主研究をしている程度である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;今でも実際に実務をやっている方々からは漢字についての不満を聞く。どうやったって、入力したい漢字をコンピュータが拒否する訳だから。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;教典、聖典と言われる宗教関係の本は隠れたベストセラーである。そういう世界の書籍も、コンピュータ利用で作らざるを得なくなるのは時間の問題である。そのとき、教典、聖典の漢字はいったいどう変化していくのだろうか。そして戒名は。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンピュータでの漢字利用に関するインターネットなどでの意見発表は数の上では盛んであるし、公開会議を開いたりすると人が集まる。しかし、議論は的外れが非常に多い。コンピュータの技術上の話ばかりが多く、実際に本を作ったり、辞書の編纂をしたりした人が殆ど現われない。殆ど全ての書類の電子化において、漢字は避けて通れない。今はいい加減な知識しかない人が多く、使える漢字を現在コンピュータで扱える漢字に強制的に直させようとさえしている省庁もある。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;シグマ計画の２５０億円は完全無欠の無駄になったが、これからでも同じ２５０億円をコンピュータで利用できる漢字の研究開発に使えば、無駄になることは決してないだろう。それにしても、こういうことを何も理解せずに行なっている国立国会図書館の「電子図書館」プロジェクトは、無知蒙昧も甚だしい。大卒どころか、義務教育終了程度の学力があるかどうかさえ疑わしい。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>シグマ計画</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003191</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 20:51:06 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;シグマ計画というコンピュータに関する通産省の国家プロジェクトがあった。このプロジェクトは、ソフトウェア開発の効率化を目指したものであった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;「１９９０年には６０万人のソフトウェア開発技術者が不足する」
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;との報告書が１９８４年に産業構造審議会から出され、将来のソフトウェア・クライシス対策として始まった。このプロジェクトに下に作られたコンピュータが「シグマ・コンピュータ（シグマ・ワークステーション）」である。正確には、シグマ計画で作り上げた物は、コンピュータではなく、シグマＯＳというコンピュータを制御しているオペレーティング・システムであるが、そんな細かいことはどうでも良い。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;結論から先に言えば、この国家プロジェクトは、見事なまでの大失敗であった。国家プロジェクトの期間は１９８５年からの５年間であった。終了時点で失敗ははっきりしていたのであるが、プロジェクトの期間が終わると同時に「株式会社シグマシステム」が設立され、事業を引き継いだ。この会社は、秋葉原の外れの末広町交差点の角のビルに入居していた。そして最近やっと消滅したようだ。政府の研究員の中には、この消滅を喜ぶメッセージをインターネットに流していた者もいた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;金銭的な失敗だけでなく、ソフトウェアの生産性や品質の向上に対しては、完全に足を引っ張る作用をしてしまった。不況の影響もあるが、産業構造審議会の報告と正反対の
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;「１９９５年には６０万人の無能なソフトウェア開発技術者が余った」
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;というのが実情である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンピュータの世界にいて、シグマ計画の失敗の話は書いてはいけないことになっている。実は、殆ど初期のころから失敗の噂は流れていた。しかし、何しろ国家プロジェクトで、日本のコンピュータ・メーカーが全て参加している。シグマの悪口は、飲み屋で言うのは構わないが、雑誌など証拠が残るようなものに載せてしまうなどタブーであった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;しかし、全く何も成果を出さないどころか、存在すること自体がコンピュータの進歩の邪魔であることが何人にも分かるようになってしまった。そうなって、やっと雑誌に大失敗の話が出たのである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;これをやったのは日経コンピュータであった。１９９０年の２月１２日号に、
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;「Σ計画の総決算--２５０億円と５年をかけた国家プロジェクトの失敗」
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;というタイトルで約３０ページの記事を発表した。「偉い」と言えよう。なにしろ、日経コンピュータは、「動かないコンピュータ」という人気の高い連載を長年していたのだ。一番動かないコンピュータであるシグマの特集をしなくては話にならないだろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;シグマ計画の失敗の原因は、色々言われている。その中の１つが、コンピュータが進歩しないという大前提を立てて開発したことである。無茶苦茶な前提であり、開発途中でにっちもさっちも行かなくなったのは言うまでもない。問題は、失敗が明らかになっても、中止も変更もしなかったことであろう。国家プロジェクトの「冠」がつくと、決して中断できなくなってしまうのだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;シグマ計画を引き継いだ株式会社シグマシステムの主要なターゲット市場は事務分野であり、事業内容の中心に日本語処理を掲げていた。しかし、日本語処理に対して貢献したことは殆どない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;当時は、ちょうど漢字が自由にコンピュータ上で使えるようになりつつあった時期で、日本語に関する会議も盛んであった。日本人である以上、英語やローマ字などではなく、漢字の使えるコンピュータを望むのは当り前である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;そういう会議などに私も出席したことがある。メーカーやソフトハウス、大学などからの出席者が多い。シグマの人も出席していた。本来ならば、シグマの人が中心になって、こういう類いの会合を主催すべきなのであるが、そういう積極的なことは殆どなかったと思う。どちらかというと、無知であることがひしひしと伝わってくるだけであった。会合のことより、明日の休日のゴルフの打ち合わせに頭が行っているようだった。不勉強極まりない連中であった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;目茶苦茶失敗しているプロジェクトであるが、国家プロジェクトという御旗の下に行なっているので、世間の多くの人間は信じるのである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンピュータのハードウェアは全く同じで、シグマのソフトウェアを載せたのと、世界中に出回っているアメリカで開発されたソフトウェアを載せた２種類のコンピュータがあった。ソフトウェアを交換すると、世界標準になったり、シグマ標準になったりするのである。大企業の中には、通産省のお墨付きのシグマの方を使いたがったところが結構あった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;実際、シグマのソフトウェアは、世界標準のプログラムの進歩を止めてしまい、改造を加えたものであった。だから、当初においては、一世代古い程度であった。しかし、あっという間に化石になってしまった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;ある企業は、シグマ・コンピュータの上で、業務用のソフトウェアを開発した。我々の常識から言えば非常な低速であったのだが、とにかく動いて、一応満足していた。仕事に使いだすと、次第に要求が厳しくなってくる。高速化を試みた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;高速化のために色々調べていくうちに、驚異的な結論を得てしまった。シグマ・コンピュータで動かしていたのと全く同じプログラムを、普通のコンピュータで動かしたら１００倍くらい高速になったのだ。高速化の作業は不要になってしまった。シグマ・コンピュータのソフトウェアを捨て去り、普通のコンピュータに直してしまえば要求を完全に満たしてしまうのだ。業務用に開発したソフトウェアは一切手をつけなくても高速になったのだ。シグマ・コンピュータって一体何なんだ。存在するだけ悪ではないか。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;地方へ行くと、「国家プロジェクト」の看板が効果的になる。いや、「絶大」になる。
最初は全コンピュータ・メーカーが参加していたシグマ計画であるが、見切りをつけるメーカーが続出した。その中に非常に義理堅いメーカーがあって、シグマ・コンピュータを自社商品にしてしまった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;このシグマ・コンピュータを性懲りもなく売り続けていたメーカーの営業が来て、&lt;br /&gt;
「東京ではシグマ・コンピュータは全然売れませんが、地方へ行くと売れるんですよ」&lt;br /&gt;
と言うではないか。東京で売れなくなった物を地方で売るのは確かに営業戦略の常識である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;あるコンピュータ・メーカーがシグマ（Σ）のマークをコンピュータに利用していた。このコンピュータは、実質的にはシグマ計画とは関係なかったと思う。国家プロジェクトとダブらせることで売り込もうとしたのであろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;しかし、シグマの人気がどんどん下がると、シグマの言葉自体が嫌われるようになった。シグマのイメージが悪いのである。シグマと聞いただけで、お客が寄り付かなくなってしまった。それで、このメーカーは、全社的に「シグマ」という言葉と「Σ」記号を廃止する通達を出したという噂である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;不況が襲ってきたころ、シグマ関連の仕事を取りたがったソフトハウスがかなりあった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;実は、知り合いのいる会社でも、シグマ関連の仕事を取ろうと企てていた。もう失敗は１００％公開されていた時点であった。電話がかかってきて、シグマの相談をされたので、&lt;br /&gt;
「この期に及んで、シグマなんか相手にするのか」&lt;br /&gt;
と言ったら、&lt;br /&gt;
「シグマ関連ということだと通産省の補助金が得易いので狙っているのだ」&lt;br /&gt;
と返事をしおった。&lt;br /&gt;
「この罰当たりめが」&lt;br /&gt;
と思ったが、結局どうなったのかは知らない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;国家プロジェクトの失敗はいっぱいある。シグマ計画より多額の予算で失敗したものも多い。私は失敗することは仕方ないと思う。失敗から何かを学べば良いのである。企業では怖くてできないようなことを国家プロジェクトとしてやることは大いに推進すべきだと思う。しかし、撤退や見直しの計画が全然ないのは無茶としか言いようがない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;実は、シグマ計画についての情報を、私はインターネットを利用して質問し、答えてもらった。本を書いたりするとき、自分では細部まで覚えていないこととか、資料を捜すなど大変に便利だ。全く知らない人から、親切に情報を届けれくれたりする。まあ、時にはトラブルも起きるが、それは普通の電話や郵便を使っても同じこと。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>入札</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003189</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 20:48:02 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;公立の学校も含めて、役所というところにコンピュータが導入される時、必ずといっていいほど入札という方法が取られる。昔、１円入札というのが新聞を賑わしたが、あの入札の話である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;もちろん、庶民から集めた税金などでコンピュータやそれを動かすソフトウェアを購入するのであるから、できるだけ安いのが良い。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;某国立大学のあるコンピュータ関係の学科で、コンピュータ・システムを購入することになった。その時点で適当なのは、どこのメーカーのどのコンピュータかということは分かっていた。保守のことも考えて、完全に技術的な立場から、導入メーカーは決定していた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;研究室レベルなら、まあそれで十分であろうが、学科としての導入となるとそうは行かない。きちんと、公平に入札を行ない、不正が行なわれなかったことを明示しなければならない。問題は、入札の時、決定は価格のみによって判断されるので、対抗メーカーが低い見積もりを出すと、そちらに決まってしまうことである。これを阻止しないと、研究や教育がストップしてしまうこともある。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;入札の前に、技術的なチェックが行なわれる。購入に足る製品かどうかを判断する訳だ。この判断だけは、１００％学科側に任せられる。彼等以外に判断できる人はいない訳だし、実際の利用者なのだから、当然の権利であり、義務でもある。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;ここで重要なことがある。導入責任者は、大抵学科の主任教授とか、導入委員会の代表で、やはり主任教授並みの人になっている。キチンとした肩書きがないと、導入責任者にはなれない。このとき、この責任者の名前で、技術チェックをしてはいけない。助手あたりにチェックをさせて、報告書を書かせるのである。そのとき、必用条件を満たす製品が１つになっても構わない。もし、それ以外が使い物にならないのなら、１つになって当然なのである。メーカー毎に、性能、使い勝手などが違うのだから、単に合格、不合格だけではなく、Ａ社のが１０００万円なら、Ｂ社のは使用には堪えるがせいぜい６００万円がいいところという風にビシッと書いておくべきである。実際にそうなら、そう書くのが技術者としての良心である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;これでは、入札が骨抜きになってしまうと思うであろう。でも、技術者としての良識によりそうなったのなら、それが正しいのである。その学科でも、そのようにして、正しい選択が行なわれた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;公立の学校にコンピュータ教室が開設される時など、猛烈に安い価格で入札が行なわれる。時には１円になったりする。学生が自社のコンピュータに慣れてくれれば、将来の市場が開けると思って超低価格で入札するのは、企業としては当然であり、何も問題はない。それで安くて良いコンピュータが入手できるなら、学校側も問題ないだろう。 ところが、私の同級生が先生をしている市立短期大学の実情はそうではなかった。性能や、その後のことを考慮しての導入ではなかった。とくに、地方都市の市立短期大学などでは、なんとか生徒にコンピュータ教育をと思うのか、コンピュータ導入の予算だけはどんどんつくようだ。物さえ買えば教育できると思っているのだろうか。こういう場合は、メーカーにとって一番扱い易い。一旦導入させれば、あとはメーカーの自由になるのである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;最初の導入さえ低額にしておけば、入札にはまずパスする。そこで、次々と付属品やら消耗品を売るのである。つまり、こちらで、じっくり、がっぽり儲けるのだ。安い物を買ったと思ったのは誤りで、実は大変高い買物をしている。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;まあ、このくらいで済めば良い方である。安いだけで、使い物にならない粗大ゴミを買わされることもよくある。私の同級生は、結局、短大に導入された機種は使い物にならないので、個人的に別の機種を買ってしまった。彼女はワープロや簡単なデータ処理をするだけだが、それすらも導入された機種には殆ど揃っていなかった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;別の国立大学での、１０年程前の話である。某メーカーの大型コンピュータが学科の専用コンピュータとして設置された。コンピュータと各研究室を通信回線で結ぶ必要があり、業者に工事をしてもらった。工事内容は単純である。業者を頼まなくても、材料だけ購入して学生なり院生にやらせれば十分な内容であったが、きちんとした工事をしないとコンピュータの動作が保証できないといって、結局６００万円も払って工事をした。どう考えても１００万円になる筈がない工事だ。それに、保証というけれど、ちゃんとしたケーブルを購入しさえすれば何も問題はない筈だ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;事務処理上の問題で、６００万円を無駄にした訳だ。６００万円の研究費があれば泣いて喜ぶ研究室だってあるというのに、企業の脅しに負けてしまった。内容を理解できる助手たちが悔しがるのは当然だ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;これは学校や役所ばかりの話ではない。企業も規模が大きくなると、役所的になり、殆ど同じ失敗をしているのをしばしば見かける。くれぐれも、初期の金額だけに目がくらんでしまわないように、ご注意申し上げる。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>不良ＣＰＵの交換に金を取る</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003187</link
><pubDate>Fri, 29 Sep 2006 11:02:47 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;コンピュータの中の部品で一番重要なのがＣＰＵである。中央演算処理装置とも言う。これは、コンピュータ全体を制御し、かつ計算などを行なう、いわゆる「頭脳」と呼ばれる部分である。コンピュータの性能の大部分は、このＣＰＵで決まる。だから、コンピュータの選択をするとき、一番に注目する。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンピュータのハードウェアや、有力なソフトウェアに重大な誤りが発見されると、新聞やテレビで報道され、回収劇となったりする。しかし、ユーザがコンピュータを十分に知っていないと、販売側に明らかに責任があっても、うやむやにされることがある。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;もうかなり前になるが、パソコン上で簡単な３次元ＣＡＤのプログラムを組んだ。それで、当時（１９８５年頃）発売になったばかりのパソコンを手に入れ、作業を始めた。もちろん、３次元立体幾何学の計算をするので、三角関数などの計算を高速に行なう必要が生じた。そのためには、数値計算を高速に行なう「数値演算プロセッサ（コプロセッサ）」というＬＳＩを附加しなければならなかった。コンピュータの筐体を開け、数値演算プロセッサを入れる場所があったので、そこに差し込んだ。これで、数値計算が高速になる筈であった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;しかし、結果はまるで逆であった。動かなくなってしまった。仕方がないので、あれこれ調べ始めた。コンピュータの筐体をもう一度開けて、ＣＰＵを取り出して確認する。よく見ると、型番が若干異なっている。８０Ｘ８６であるべきものが、８０Ｘ８６−３になっている。余分の記号の「−３」がついている。こういうのがくせ者である。こういう記号は正式の製品にはつかない。サンプル出荷の品だろうということは見当がつく。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;まず、手始めに、ＣＰＵを製造したメーカーに電話を入れて問い合わせる。色々と情報を得て、次に、教えてもらった、そのＣＰＵの販売会社の技術サポートに電話を入れる。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;そうしているうちに、蛇足の記号の意味が分かってきた。これがついていると、数値演算プロセッサを附加しても絶対に動かない代物だということを教えてくれた。さらに、正常なＣＰＵを用いたときに数値演算プロセッサを動作させるための電子回路の概略も教えてくれた。大変親切な対応だった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;それで、もう一度パソコンを開けて、ＣＰＵの周りの回路を調べた。すると、電話で教わった通りの部品がちゃんと並んでいる。ということは、正常なＣＰＵを装着すると、数値計算も高速にできるようになるだろうことは想像できる。わざわざ無駄な回路を作るとは考えられない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;次は、仲間に連絡をする番である。やはり何人かが、このコンピュータを使っていた。そして、不思議なことには、何個所かでは、メーカーの方から正常なＣＰＵを持ってきたことが分かった。その殆どは、メーカーがそのコンピュータを無償で貸し出している、そのメーカーとの関係が強いところである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;さらに、メーカーの純正品として売られている数値演算プロセッサには、おまけとして正常なＣＰＵがついていることも分かった。しかし、パソコンメーカーの数値演算プロセッサの価格は法外であった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;まあ、秋葉原のパソコンメーカー直営ショップへ行けば、正常なＣＰＵに交換してくれると思って訪れた。するとどうだろう、交換してくれない。それどころか、私がどうして動かないかを知り得たか詰問してくる。パンフレットなどに表記しているＣＰＵの型番は正規の製品のであるにも関わらず、別の不完全品が入っていたのである。どう考えたって無償交換が当り前である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;店頭で揉めていると、どう対応するか、本社かどこかに電話をかけていた。
「あれ（正常なＣＰＵ）は２万円もしたんだ。ただでは渡せん」
なんて声が電話口から漏れ聞こえてきた。どこまでも、人を騙し続けようとしていた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;後日、それも大分経ってから、申し訳ありません、と一言だけ書いた紙切れと共に、正常なＣＰＵが郵送されてきた。実際には、この郵便が届く前に、メーカーから別ルートで正常品をもらって、とっくに使っていた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;この話は、まだこれでは終わらない。このパソコンの売れ行きは芳しくなかった。こういうとき、有力大学などに寄付するのが流行っていた。よく出入りしていた東京大学の某学科にも寄付され、コンピュータ教育用に使われることになった。その学科の二人の教授から、このコンピュータ室のサポートを頼まれた。日本最初のマイコンゲームを作り出したような大学院生がいるような学科である。私が技術的なことを教えるなんてとんでもない、こっちが教えて欲しいようなところである。まあ、純粋に技術的なことではなく、それ以外のサポートが欲しかったのだと思う。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンピュータは無償だったが、その他のオプションなどは有償らしかった。学科の性格上複雑な技術計算が必要なので、数値演算プロセッサは必須である。しかし、その当時はまだ数値演算プロセッサは高価だったので、何台のコンピュータに数値演算プロセッサを装着するかを検討していた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;その間に、メーカーの手でパソコンの調整がなされ、コンピュータ室に並べられた。すると、どうであろう。いつの間にかＣＰＵが正常品に交換されていた。なぜだ。きっと東大は無償交換の対象だったのだろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;それにしても、ユーザを徹底的に馬鹿にした話だ。当時、別のパソコンメーカーのユーザー対応が悪いと言ってテレビで取り上げられていた。でも、これに比べれば、まったく大したことではなかった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;そのうち、パソコン雑誌社の者と会った。この問題も話題になった。雑誌などへ発表するかどうかも含めての話になった。が、そのうち、うやむやになった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;不良が発生し、計算が狂ったり、データが破壊したりすることは、不完全な人間が作ったコンピュータのやることだから仕方がない。しかし、はっきり不良が分かっているのを騙し続けるのがいることもある。相手が無知だろうと判断すると、大手を振って騙しにかかろうとすることがある。それが暴露すると、脅迫してくるのさえいる。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;こういう対応を取られたことは非常に少ないが、多くの場合、こちらの肩書きやコンピュータの知識レベルなどが相手に事前に知られているので、初めからきちんと対応してくれたのかも知れない。一般に、コンピュータ技術者、それも服装がキチンとしていないような技術者が相手をしてくれた時は、どこのメーカーも概して親切である。その反対の場合は、注意して対処した方が賢明のようである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;無知でいると、何をされるか分かったものではない。くわばら、くわばら。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>秘密主義</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003185</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 20:45:59 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;ソフトウェアの受注開発をやっていると、取引先が次に出す新製品の概要どころか詳細まで分かってしまうことは多い。しかし、新製品の開発は、競争相手に見つからないようにこっそり行ない、ガーンと強烈に発表しなければならない。だから、開発中は、どんな製品が出そうかなど漏らす訳には絶対にいかない。まあ、開発中でどんな製品に仕上がるかも分からない段階から広告がどんどん先行してしまい、開発側が慌てることは良くある。そして、結局、製品が出ないことも多々ある。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;新製品開発などに関わった時、秘密主義の程度によって開発状況ががらりと変わってしまう。こちらの信用度とかもあるのだろうが、非常にオープンな会社と、まるで秘密結社みたいなところがある。少なくとも、オープンだと一緒に仕事をしているという意識が高まり、仲間意識ができ、情報交換もスムーズになる。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;その反対に、がんじがらめで、開発に必要最低限の情報すらしぶる会社もある。もっと酷い場合には、必要最低限の情報も機密事項になるので出せない、ということもある。こうなると、暗中模索しながらプログラムを作ることになる。普通の仕事なのに、何だか暗号解析でもやっているような状態に陥ってしまう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;機密事項の部分を出せば、開発は非常にスムーズになり、でき上がる製品の品質も向上することが担当者に明らかでも、「会社の方針」ということで秘密になってしまうことが多い。本当に必要な部分だけを秘密にし、それに関する個所は完全に社内で作成するとかすれば良いのだが、疑わしきは全て秘密にする傾向がある。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;機密の程度や範囲を決めることは非常に難しい。万一競争相手に漏れてしまっては、折角の研究開発投資が無駄になってしまう。しかし、全てを社内スタッフで開発するのは容易ではない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;かなり昔になるが、フロッピィーディスクドライブを制御するプログラムの開発を請け負ったことがある。今なら秋葉原へ行けば簡単に買える物で、わざわざ開発する人もいないであろう。ある装置に、そのころはまだ非常に珍しかったフロッピーをつけて動かすために、フロッピーの部分だけの開発受託である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;これは小さな仕事である。そんなに難しいところはないし、特別変わった仕事ではない。幸い社内にこういう関連のことに長けていたのがいたので、実作業は全て彼がすることになり、現場である取引先の工場に行くのは普段は彼一人である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;しばらくすると、彼が不安がりだした。&lt;br /&gt;
「この装置が何に使われるのか、全然教えてくれない。だから、どのくらいの信頼度を考えて仕上げれば良いか分からない」&lt;br /&gt;
と悩んで相談に来た。フロッピィーディスクドライブだから、コンピュータの記憶装置としては極めて一般的な装置である。その利用が何か特定の分野で使われるのか、あるいは秋葉原みたいなところで不特定多数を相手に売られるのか、それによって設計も異なってくる。頻繁に故障しても笑って済ませられるものから、万一故障が起きると生命が危なくなる場合まで様々である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;しかし、取引先は、仕事に必要な最小限度のことしか教えてくれない。これでは、開発担当者は不安である。何とかしなければということで、私が一緒に工場まで行った。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;工場の入り口で登録してから、担当者の机のわきを通り、一番奥の会議室で打ち合わせを行なった。会議で適当に聞き出すつもりだったのだが、実は担当者の机のわきを通った瞬間に全て分かってしまった。設計図が机の上に広げてあり、その大部分は他の用紙で隠されていたのだが、その装置の特徴的部分がつい見えてしまったのである。だから、会議では適当に挨拶だけをして帰った。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;ある種の店に置く装置で、一度の売り上げが数千円の商売の売り上げを管理する装置であった。何も隠す必要はないではないか、隠すこと自体が不思議でならなかった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;これで全てが分かり、彼も安心して仕事に励み、予定通りに納品できた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;これからの時代は超ＬＳＩだと世の中が沸いていた、はるか昔の話である。ある超大手企業での超ＬＳＩの研究に参加したことがある。企業は何百億円もの投資をする訳である。その中の、超ＬＳＩ製造装置という、一番核心の装置のプログラムを作っていた。やっている仕事が仕事だけに、相当の部分が秘密であって当然だと思ったのだが、意外にも秘密らしい部分は少ない。聞けば殆ど教えてくれる。大変働きやすい職場である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;もちろん、何でも全て公開という訳ではない。超ＬＳＩ製造装置を動かすプログラムを作っている訳だから、当然のことながら性能の限界が分かってくる。しかし、この性能の限界こそが極秘事項なのである。全世界の半導体メーカーで、この性能の限界に挑戦しているのであるから、それに関連する数値は関係者以外誰に漏らしてもいけない。しかし、プログラムを作ったり、機械を動かしたりするには、最も重要な数値である。それで、&lt;br /&gt;
「これらの数値だけは絶対に秘密にするように」&lt;br /&gt;
と何度か言われた。これらの数値は、ＮＨＫの『電子立国日本』で殆ど紹介されてしまったようだ。もう、あまりにも古いことなので、私は数値自体を全然覚えていない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;こういう風に、スマートにやってくれると、受託している方も、やりがいを覚えてきて、良い物を作ってあげなくてはと思う。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;この本には、随分悪口を書いている。その他にも、私は本や雑誌を書いていて、本書と同様にあちこちの悪口を書いた。ただし、原則として、どこの誰だかは分からないように、これでも気を使っている。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;いつも、基本的にはコンピュータの技術的なことを書くのであるが、色々分析しているうちに、技術的なことより、心理的なこと、人間的なことへ関心が行ってしまう。しかし、人間は結局はそういうことに興味があるようで、結構反響がある。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;「うちの会社の批評を書いてください、それも実名で」&lt;br /&gt;
と言われることがある。こういう会社は、秘密主義は絶対に取らない。仕事も大体やり易い。そして、相手のレベルも高く、良いことしか書くことがなく、記事としての価値がない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;仕事が終わろうと、会社を辞めようと、業務上知り得た秘密を公開するのは守秘義務に違反する。本来の秘密以上に、どこの会社がどのくらい上手か、あるいは下手か、技術水準はどの程度かということは、その会社の生命にも関わることなので、社名は全部伏せてある。世間の評価と本当の実力との間に著しい隔たりがあることも珍しくない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;秘密の扱いは本当に難しい。一つ間違えば「秘密漏洩」になるし、あまり秘密にしていると仕事に差し支える。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>尻拭い</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003183</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 18:55:59 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;まったくの新規開発の割合はどんどん減っている。一番多いのが、既に開発されているプログラムになんらかの手を加える仕事である。コンピュータがどんどん変化していくので、その変化にプログラムの方を適合させる仕事は特に多い。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;こういう時には、過去に自分または他の誰かが作ったプログラムを修正したり、付け加える部分を既存部分と適合するように作る訳だ。既存プログラムが現状にそぐわなくなっていれば、そのプログラムも修正する。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;こういう仕事は、元のプログラムの品質で作業効率が目茶苦茶違う。元が良い場合には、非常に楽である。しかし、元が酷いと、とんでもない苦労をさせられる。元のプログラムを捨ててしまって、新規に作り直した方が、遥かに楽なことが良くある。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;でも、捨てることは、まずない。捨てられない事情がある。今までに費やした工数、費用がもったいないのである。なんとか今までの成果を利用しようと悪あがきをする。そうして泥沼状態になっていく。過去の費用は重要であるが、未来の浪費は構わないのだろう。今までの失敗を授業料と考え、これからのことを考えるべきだと思うのだが、そういう判断が下されることは希である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;したがって、既存プログラムに関連する仕事の場合、元のプログラムの品質を見てからでないと作業量は全く予想がつかない。しかし、一般に、受注金額が決まって、契約が行なわれないと、プログラムはやってこない。だから、プログラマは、プログラムがやってきた時、こわごわと覗き見る。汚ない下手糞なプログラムだったら、その日から何ヵ月も苦闘の日々が続くことになる。&lt;br /&gt;
「馬鹿！アホ！間抜け！とんま！」&lt;br /&gt;
とか呟きながらの作業が続く訳だ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;スーパー下手糞なプログラムの改造の仕事を受注したことがある。まあ、かなり下手だろうことは予想していたから、それは問題ではなかった。改造の範囲は決まっているので、たとえどんなに下手糞な作りになっていても、もし改造の範囲外だったら、そのまま手をつけないことにしようと決心した。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;腕の良いプログラマは、ついつい悪い個所を直してしまう。技術者魂に忠実で良いことであるのだが、そんなことをするくらいなら全部最初から作った方が良い場合が多い。だから、悪い個所は、悪いままにしておくことは、重要なことなのだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;さて、プログラムを改造するとき、まず、作業範囲内か範囲外かがはっきり分かるように、プログラムを分離する。これは、ついうっかり範囲外のプログラムを見て、気分を悪くしたりしないためである。万一間違って修正を加えだしたら泥沼になるからだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;プログラムの改造が進んで、テストの段階になった。こちらが修正した部分は、新しいコンピュータの画面から色々な操作ができるようにすることであった。コンピュータ内部のデータの加工、修正などはこちらの仕事ではない。しかし、困ったことが起きてしまった。データ加工の時間があまりにも長いのである。画面上のボタンを押しても、結果が表示されるまでに何十分もかかる。これでは、テストなど全くできない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;テストできないのでは、こちらの作ったプログラムの仕事は、いつになっても終えることができない。やむを得ず、どうして驚異的に遅いのかを調べた。理由は分かった。手をつけないことに決めていた部分に、無茶苦茶に下手糞な信じられないような部分があり、猛烈に遅くなっているのが分かった。本来、この部分に手をつけるのはこちらの仕事ではないので、発注元に連絡して、非常に遅いことを訴えた。&lt;br /&gt;
「遅いですね」&lt;br /&gt;
という相づちを打ってくれたが、それ以上は駄目だった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;元のプログラムを作っていた人たちは、どうやってテストをしたのだろうと考えてしまった。まあ、こんなに時間がかかるのだから、テストを放棄したのは想像できた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;元のプログラムに問題があるのだから、元のプログラムを作った側の責任でプログラムを修正するのが道理である。しかし、相手には、とてもそんな実力がない。どうせ、何を言っても、理屈にならない理屈で、のんべんだらりと逃げ回るだけに決まっている。こちらの作業は止まってしまい、どうしようもなくなっていく。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;こういう場合、やむを得ず、仕事の範囲外であった部分にも手をつけてしまう。そうしないと、仕事にならないからだ。越権行為であるが、やむを得ない。相手に修正依頼を出すよりも、自分で修理してしまった方が早い。早いどころか、相手が直したならば、もっと悲惨なことになりそうで怖いのだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;一回こういうことを行なうと、もうとどまるところを知らない。そうやって、下手糞なプログラム、遅いプログラムも、自然に使い物になっていくことがある。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;納品の時に言われた。&lt;br /&gt;
「元のプログラムより、だいぶ速くなりましたね」&lt;br /&gt;
それで、こちらの方は、&lt;br /&gt;
「元のプログラムは、あまりに下手糞でどうしようもなかったし、元のプログラムを作ったプログラマは全然対応する気力および能力がなかったので、ビシバシ書き換えました。元々はそういう予定じゃなかったのですが、おかげで、随分馬鹿げたことに時間を使ってしまったぞ。我々の仕事は、尻拭いでしかなかったわい」&lt;br /&gt;
と答えたかったのだが、そうあからさまには言えないので、言葉を慎重に選んで、穏やかに言ってしまった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;どの世界でも、尻拭いという作業は存在する。下手な奴、失敗する奴がいるから、尻拭いは絶対にある。問題は、尻拭いは優秀な人間にしかできないことである。下手なプログラマには、どうやっても責任は取れない。せいぜい、仕事を退くことによってしか責任を取れない。直そうと思って修正を加えると、どんどん症状を悪化させるだけだから、退くことが唯一の道である。作業から離れて、学習にでも精出してくれれば言うことなしだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;優秀なプログラマに尻拭いをさせるのは、非常にもったいない。尻拭いをするくらいだったら、初めからその人が作っていれば良い物ができる。しかし、優秀なプログラマの多くは、尻拭いに忙しいのである。低レベルのプログラマを早く締め出すのが急務である。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>下手糞なプログラマは殺人鬼</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003181</link
><pubDate>Fri, 29 Sep 2006 10:59:22 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;「殺人鬼」とは、きっと物騒な題名、穏やかでない題名と思うだろう。でも、考えて頂きたい。今、コンピュータは何に利用されているかを。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;医療分野でのコンピュータ利用は目覚ましい。集中治療室などの危険な患者を扱う個所には、コンピュータで重装備された医療機械が並んでいる。医師や看護婦が患者の状態を見ているのはもちろんだが、多くの部分を医療機械に頼っている。これらのコンピュータの内蔵された医療機械の助けがなければ、今の高度医療は成り立たない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;集中治療室を出て、放射線科へ行ってみよう。昔はレントゲンがあったくらいだ。昔は、放射線科というと花形ではなかった。それが、ＣＴなどに代表される、高度にコンピュータ化された装置で、人間の体内を色々な方法で視覚的に捕らえられるようになった。超音波を利用して、生まれてくる前の胎児の様子も詳しく分かるようになり、出産に先だって色々な対策が立てられるようになってきた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;これらの医療機器には、画像処理という、コンピュータでは最先端技術が使われている。だから、これらの医療機器は決して安くない。画像は鮮明になればなるほど診断の精度が上がるであろう。だから、技術競争が大変激しい分野である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;血液検査、尿検査なども様変わりした。臨床検査技師が、試薬を入れて１つずつ検査をする時代は終わってしまった。大病院ならば、採血したら、あとは機械が血液中の成分を分析し、結果は医師が診断する時に、画面の上に表示される。とても人間がやっていたのでは、こんなに早く結果を求めることなどできない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;入院患者の薬を準備するだけでも大変だ。巨大病院ともなれば、千人以上が入院している。各人の薬は、コンピュータが選び出し、袋に詰め込み、袋の上に名前を印字する。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;病院、特に大きな病院になればなるほど、コンピュータとは切っても切れない関係にある。最先端の医療分野では、医師とコンピュータが共同で手術を行なうような研究も検討されつつあるようだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;交通機関はどうだろう。飛行機には自動操縦機能がある。もちろん、コンピュータが飛行機を制御しているのだ。こういう機能が充実している飛行機のことを「ハイテク機」と呼ぶ。しかし、名古屋空港で中華航空のエアバスＡ３００−６００Ｒ型機が墜落し、乗員乗客２６４名が死亡したのは記憶に新しい（１９９４年４月２６日）。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;この事故は、操縦士とコンピュータとの操縦権の取合いが原因だとされている。結局は飛行機の操縦権をコンピュータが握っているにもかかわらず、操縦士が操縦権があると思って操縦しようとしたためである。操縦士の誤解による墜落ではあるが、それだけの問題ではない。操縦士がいくら優秀で十分な訓練をしたからといっても誤りは犯す。だから、操縦士が誤りに陥っても、誤りに気付かせるように、あるいは少なくとも、誤りに気付き易い設計をすべきであったことだ。ただ、どのようにすべきかは難しい問題だ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;そもそも、操縦士と自動操縦装置と、どちらが安全に飛行機を操縦できるかという根源的な問題がある。今では、通常の状態では、明らかに自動操縦装置を使った方が事故率は低い。しかし、飛行機だって機械であり、あちこち壊れるのは仕方がない。エンジンの１つや２つ停止したって直接墜落に繋がる訳ではないらしい。しかし、異常状態に対して、どこまでプログラムが対応できるのかは、プログラムを作る時にどこまで考慮したかによる。操縦士も含めて問題を起こすのであるから、そこまで対応しないといけないが、考慮されていないことに対してはプログラムされていない訳で、そういう場合はどうなるか分かったものではない。しかし、飛行機の自動操縦の信頼性は、墜落事故という授業料を払いながら着実に高まっている。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;飛行機だけではない。列車だって、どんどん自動化されている。運転手や車掌を駅に置き忘れて走ってしまうくらいだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;自動車だって、いっぱい使われている。私なんか、一応コンピュータ技術者の端くれだから、コンピュータがエンジンの制御などしている車に乗っていると、背筋が寒くなるような気が若干はしてくる。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;交通機関を利用する限り、コンピュータの制御下に身を置いているといっても過言ではないだろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;医療機器や交通機関は、トラブルが即生命の危険に結びつく。それも、原因の殆どはプログラムに起因したものばかりだ。こういう機械を信用するかどうかは、結局はプログラムを信用できるかどうかだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;プログラムを作るのはプログラマである。だから、プログラムの品質は、プログラマの品質に比例している。これこそは、下手糞なプログラマがプログラムを作ったならば、その機械はどんなことをしでかすかも分からない。色々検査は行なわれていようが、下手糞なプログラマにプログラムを作らせることは、結局は殺人鬼を飼っているようなものだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;一般の企業においては、直接人間の生命の危険にかかわることは少ないだろう。しかし、下手なプログラムのために企業が損害を被ることは大いにある。だから、会社の生命の危険は十分に犯してくれる訳だ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;プログラマも人間である以上、過ちや失敗を起こすことはやむを得ない。人間、失敗によって進歩があるのだから、まあ、進歩のための授業料は必要であろう。しかし、まったくつまらぬことのために、無駄に授業料を払うことはないだろう。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>プログラマの品質管理</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003179</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 18:52:54 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;日本は非常に品質管理にうるさい国である。野菜の形状だって、カメラで捕らえて、コンピュータで判断し、分別しているありさまである。ネジの一本一本さえ、全部チェックするような、どうしてここまで厳しくチェックするのだろうと思ってしまう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;しかし、この完全無欠を貴ぶ潔癖精神が、日本製品の品質をここまで引き上げたことは疑いない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;ところで、プログラムの品質の方はどうであろうか。時間をかけてテストをしたからといって安心できるだろうか。いったい、プログラムの品質は、何に依存するのだろうか。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンピュータの素人は、コンピュータを盲信する。「コンピュータは絶対正しい」と信じる。まるで、神様のように崇め奉る。プログラムを作れる人間を、まるで宇宙人のように思っているのだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンピュータを始めたばかりの人とか、コンピュータを販売したり、利用するだけの立場の人は、「プログラムは絶対に正しくなければならない」と主張する。プログラムに少しでも誤りがあると、鬼の首でも取ったかのように騒ぎ立てる。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンピュータのベテランになると、「プログラムに誤りは有るもの。有って当り前。それが厭なら、コンピュータを使う方が悪い」とうそぶく始末だ。こんなことを平気で技術者が言うから、営業と技術が対立するのは当然である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;こんなにもコンピュータ（ソフトウェア）に対して抱いている基本的な考えが違っている。お互いに接点がないほどの差だ。ベテランの言っているのは、本当は、誤りを容認しようというのではない。絶対に誤りのないプログラムなど作れない、といっているだけだ。誤りをどれだけ少なくするかは、その用途によって変化する。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;業務用のプログラムの場合、一人でプログラムの全部を作ることは少ない。複数人の共同作業により、プログラムが作られていく。各人の作業は、互いに関係し、チームの一人が失敗すると、他の人の作業に影響が出る。こんなことは、プログラムの開発に限らず、どんな共同作業でも当然起こることだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;プログラムの共同開発の問題点は、一人がレベルが低くて、良くないプログラムを作っても、それに長い間気がつかないままになることが多いことである。プログラム以外の開発では、完成品を見れば大体の出来具合が分かるものだが、プログラムの出来具合の判定は非常に分かりにくい。他の人が作って、テストも済んでいると、予定通りの出来だと思って当然なのだが、これが当てにならない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;テストに十分な時間を取っても、でき上がった製品の製作工程を一切見ずに、盲滅法にテストをしても、品質保証は難しい。重要なのは、製作工程が妥当かどうかである。妥当な製作方法を取っている限り、出来上りの品質も期待できる。しかし、この、「妥当」という意味が人により非常に違う。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;管理者側では、時間数という最も測定し易い方法、参加者からの報告、あるいは参加者の気力などで判定しているようだが、そんなことで良いのだろうか。いつも「良い中間報告」をするが、最後の最後で駄目になる場合が多いのを知っているだろうか。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;また、完璧過ぎるのも問題である。要求水準よりも遥かに高いのを苦労して作られても困ってしまう。労力と完成品のバランスが取れていなければいけない。ある水準以上になった時点で、現場で使ってみて、後は使用感を検討しながら、プログラムの軌道修正を行なうべき場合に、必要以上に信頼度を上げたため、現場での試用が遅れるのではいけない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;複数人で開発する時、全員のレベルが一致することは有り得ない。優秀な者がより困難な部分を、劣る者がより易しい部分を担当する。しかし、利用者の側からすると、問題は複雑である。同じプログラムでも、人により使い方は大いに異なる。利用者が多用する機能の作りがもし悪ければ、たとえそのソフトウェアの世間の評価が高かろうと、本人にとっては「悪い」。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;さらに、プログラムの品質、使い勝手の上から見て重要な点と、プログラム開発上の困難な点とは往々にして異なる。たとえめったに使用しない機能でも、それを使用すると致命的なトラブルに陥るのであれば、それは極めて怖いソフトウェアであり、使うのを躊躇したり、場合によってはそのソフトウェア自体の使用を禁止するであろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;品質と言うのは、結局は「バランス」の問題であり、それに参加した技術者の「腕」の問題である。時間をかけたとか、多数の組み合わせで調べたというので十分なことはない。少々誤りがあろうと、実際には使われないことなら、実際には問題にならない。こういう個所は、サボっても良いが、サボり方の目安は難しい。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;品質の見分け方の一番確実な方法は、誰がプログラムを作ったかを調べるのが手っとり早くて間違いがない。結局、優秀な人間が作ったプログラムが優秀である。プログラムの品質管理をしたいなら、プログラマ（人間）の品質管理をすれば良い。プログラマの品質管理をせずに、いくらプログラムの管理をしても無駄というものだ。何と単純な結論であろうか。でも、これを実行するのは大変困難である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;次のような案はどうだろう。プログラマの月給を、能力とは無関係に、一律に２００万円にする。相当な高給であろう。もちろん、これだけ会社はプログラマに払うのである。しかし、プログラマの方も、誤りを犯す度に罰金を払うのである。軽いミスは１０万円、大きなミスは１００万円、致命的なミスは１０００万円という具合である。こうすれば、ミスの少ない者は、年収が２０００万円以上になる。ミスの多い者は、年収が赤字になってしまう。結果として、能力に相応した手取りになる訳だ。つまり、存在するだけで害があるような者は収入が赤字になり、自然に淘汰されるのである。幼稚園以来の減点主義教育を長年受けてきている者が多いのだから、こんな方法は受け入れられないだろうか。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>テストの有効性　</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003177</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 18:52:03 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;以前、プログラムが国際的な規格どおり、正確に動いているかどうかの試験を行なっているのを見たことがある。試験官が外国からやってきて試験をした。膨大な量の項目があり、個々の項目について、重箱の隅を突っつくようなレベルに至るまで試験をするのである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;面白かったのは、規格の解釈がなかなかはっきりしない。試験官の方も、規格書の理解に曖昧な点がある。テストのために用意してきたプログラムに誤りがあって、テストの合間に、テスト問題の方を直しているのだ。もうこうなったら、どっちがどっちをテストしているのか分かったものではない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;読者の全員が知っているに違いない有名な会社のプログラムを使っていた。そのプログラムを利用して、かなり大きなプログラムを開発していた時のことだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;開発の途中までは、暫定版という、商品として一般に出す前に、関係者に事前に配るバージョンを利用していた。開発を続けているうちに、暫定版ではなく、商品版が正式に出る運びとなった。こちらの開発したプログラムを納めるのに、暫定版を使う訳にはいかない。正式の商品が出るのだから、その製品の上で動作しなければいけないので、暫定版と商品版を入れ替えた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;すると、どうだろう。全く動かなくなってしまった。暫定版と商品版とを入れ替えたのが原因であるが、悪いのは我々の開発しているプログラムなのか、あるいは商品版の方なのか、明白にしなければならない。特殊な道具（プログラム）を使って調べたら、暫定版は正しかったが、商品版が間違っていることが分かった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;これには面白い逸話がある。正式に購入し、サポートの手続きもしているから、トラブルが発生したら堂々と文句を言える。製品のどこがどう誤っているかがはっきり分かるような資料をファックスでサポート部門に送った。しかし、原因が完全に分かっても、製品をこちらで勝手に変更する手段はない。それで、&lt;br /&gt;
「極めて基本的な誤りなので、この程度の誤りは商品化する前に、普通なら取っているのではないでしょうか」&lt;br /&gt;
と、しっかり書いて送ったのである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;それでも、なかなか返事が来ない。相手が返事をすると約束した解答指定日がやってきた。どうせ、今日も返事はないだろうと思い待っていたら、案の定返事はない。それで、深夜の１２時が過ぎたところで、すかさずＦＡＸを入れて、そのまま直ぐに家に帰った。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;次の日、会社に出てきて驚いた。相手からの返事が、深夜の１時過ぎに届いている。本当に仕事をしていたんだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;さらに、凄いことがあった。こちらが相手の誤りを指摘したら、さらに誤りの調査を続けてくれ、と言う。道具がないので、詳しい誤りの状態を調べられない、と言う。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;冗談ではない。こちらは金を払って購入している「お客様」の筈。何で、販売側の技術サポートをお客がしなければいけない。まったくアホなことを言う。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;この製品、誰でも知っている有名な会社が販売しているが、実は、そこは売っているだけで、技術的な部分は全部別の会社に頼っていることは、とっくに知っていた。実際の技術担当者は、コンピュータ技術者仲間の一人だし、その製品のプログラムの仕事を私にしないかという話まであったのだ。だから、まあ、全部知っていた訳だ。私は、面白いから、からかっていただけとも言える。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;誤りが入った実情は、こうだった。開発会社の方は、正しく動くのを販売会社の方に納めていた。暫定版では動いていたことからも、開発上の問題ではない。販売会社の方で、商品化するときに、プログラムの管理を間違えて、正しい物を誤った物に直して（？）から販売してしまったのであった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;さらに、この誤りが、発覚した理由が面白い。小さな、テストのためのプログラムで試している限り、絶対に発覚しない種類の誤りだった。我々が大きなプログラムで、巨大なデータを操作したお蔭で発覚したのだ。テストのための小さなプログラムではなく、実務に使うプログラムだから症状が出たのだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;本当に誤りを見つけることは難しい。直すより、誤りを見つけることが遥かに難しい。誤りは、見つけてしまえば、修正作業の半分以上は解決したようなものだ。誤りを直す作業自体は、見つける作業に比較すれば非常に易しい。誤りを見つけた者にこそ賞金でも出すべきである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;アメリカで作られた無償のソフトウェアについて、誤りを指摘すると賞金がもらえるのがあった。開発した本人が、賞金を出そうというのである。確か最初が１ドルで、その後誤りが指摘される毎に倍増するのである。私のような小心者には、とてもそんな危険極まり無い賭けをする勇気はない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;このソフトウェアは非常に有名で、今や全世界で使われるようになった。無料で全世界に配られ、日本も含めて広く使われているが、それでも、開発した本人が破産したという話は聞いていない。スタンフォード大学のクヌース先生がその本人であるが、コンピュータ技術者なら知らない人はいない超有名人である。特に、殆ど誤りを犯さないので有名である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;色々なソフトウェアも、クヌース先生のように、誤りが発見される毎に、賞金を出すとか、返金するようにすればどうだろう。こんなことをしたら、ソフトウェア会社の９９％は間違いなく倒産するであろう。しかし、こういうことも少しは頭の片隅ででも考えるようにしてもらいたい。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>ＣＯＢＯＬとデータベース</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003175</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 18:50:53 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;１９９０年代初頭まで、事務処理のプログラムでは、ＣＯＢＯＬ（コボル）というプログラム言語が一般に使われていた。そして、コンピュータ技術者のもっとも多くが、この言語を使ってプログラムを作っていた。まあ、今までは、プログラムのもっとも多くが、事務処理のために作られていたのだから当然であろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;事務処理プログラムは、その基本が極めて類似している。要するに、データの検索とか、表示、追加、削除などを行なう訳である。単価、納期、数量、割引率、担当者、取引先、支払方法など様々な項目があるが、非常に大局的に見れば、データの帳簿処理であり、よく似た処理である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;これらは、非常に「定型的」という特徴がある。「定型的」ということは、コンピュータで自動化し易いということである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;「ＣＯＢＯＬのプログラムは、みんな同じようなもので、一度覚えてしまえば楽ですよ」 と教えてくれた人がいた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;ということは、個々の事務処理システムのためにプログラムを作るのではなく、考えられる事務処理全般を包括するプログラムを作り、それを利用して事務処理を行なうことが当然考えられる。つまり、プログラムを作る手順を、プログラマという人間が覚えるのではなく、コンピュータに覚えさしてしまえば、もう自動的にプログラムができる訳だ。そうしてでき上がったのが「データベース」である。説明が荒っぽいが、まあそんなものだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;データーベースを売りまくっている会社の社長が、データーベースを利用して事務処理プログラム開発の受注をとるときの苦労を語ったのを聞いたことがある。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;「ＣＯＢＯＬで開発している会社よりも何分の１かの期間でプログラムはできる。簡単なのであれば、お客との打ち合わせをしながらだって作れる。難しいのは、ある程度の時間を寝かせてから、お客に渡さなければならない。これが大変だ」
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;大変お客を馬鹿にした話だ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;でも、実際、そのくらい開発にかかる時間が違うのである。今まで、何ヶ月もかかっていたプログラム開発が、せいぜい何日のオーダーになってしまった。これでは、ＣＯＢＯＬで作っていたのでは、全く商売にならない。手作りが良いなんてのは、コンピュータの世界では全く意味がない。早く、安く、信頼性が高いのが良いのである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;信頼性も、データベースを使うことで、大変な進歩があった。今までは、プログラムを延々と書いていた。長く書けば書くほど、どこかに誤りが入ってしまうことは避けられない。しかし、データベースを使うようになると、データベース言語を使って、非常に短く書くことができる。短いということは、誤りが入る可能性が減ることであり、信頼性の向上に繋がる。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;さらに、データベース自体が、事務処理に必要な機能の殆どを吸収してしまった。ＣＯＢＯＬでは新規開発になるような面倒なことが、データベースならば最初からできてしまう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;とにかく、ＣＯＢＯＬとデータベースは対等に競争することはできなくなった。コンピュータが進歩し、プログラムの自動化が進んだためにＣＯＢＯＬが衰退してきたのだ。これは必然の流れで、もはや逆戻りすることはないだろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;これにより、大量のＣＯＢＯＬプログラマが不要になってしまった。ときどき、就職情報誌などで、ＣＯＢＯＬプログラマのＣプログラマへの転職の話が載っているが、こういう事情があったのである。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>ソフトウェア産業は構造不況業種</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003173</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 18:49:56 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;ソフトウェア産業、とりわけプログラマの派遣は激減し、長期自宅待機は恵まれている方で、解雇になるのが普通の時代である。零細なプログラマ派遣会社やソフトハウスなどはどんどん潰れてしまった。今後も、きっと潰れ続けるだろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;だが、今までの方が無茶苦茶だったのだ。とても技術者と言えるレベルにない者を派遣して、金だけはしっかりふんだくっていたのだ。全くコンピュータを知らない人間を採用して、次の日からコンピュータ技術者として派遣するのは当り前。どうせ派遣される相手の会社はコンピュータに関してはずぶの素人、誰を派遣しようと分かりはしない。こんな状況すらあったのだから、派遣を受けた会社が可愛そうである。有能なのが来たら、大変な掘り出し物である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;ソフトウェア産業は構造不況といっても、有能な人間は全然足りない。有能な人間は、忙しくて堪らない生活を今でも送っている。コンピュータ産業の変化は激しい。新製品開発がなくなった訳ではない。コンピュータはどんどん変わっていく。したがって、プログラムの方だって、コンピュータに合わせて変化せざるを得ない。言うまでもなく、プログラマに求められるものも、どんどん変わっていく。この変化を起こしている側のプログラマは忙しい。しかし、この変化、新陳代謝によって、排泄されるプログラマがいるのは世の習い。そういうことが嫌いならば、コンピュータ産業の真っ只中に身を置くことが、そもそもの間違いである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;以前は、定型的な事務処理を行なうためのプログラムの作成が中心であった。大企業では、いかにもコンピュータ室然としたガラス張りの部屋に、いかにも高価であると自慢たらしく大型コンピュータを置いていた。わざわざお客に見せびらかすために、本社の入口近くに配置していたものだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;そういうところに鎮座している大型コンピュータのプログラムは、あきれるほど多数のプログラマ達の手で作っていた。ちょっとした事務処理でも、大型コンピュータでなければできない遠い時代のプログラム開発方法である。人間なんて、コンピュータの価格と比べれば全く取るに足らなかった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;それが今は、まったくの逆である。以前の大型コンピュータより高性能のパソコンが、プログラマ１箇月の費用よりも安いのだ。人間が一番高価になったのだ。これは、プログラマにとっては喜ばしい筈だ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;昔は、大型コンピュータを売る時には、技術者を「おまけ」でつけて売っていた。コンピュータ技術者は、コンピュータの付属品、添え物に過ぎなかった。それが、逆転したのだから、嬉しくて良い筈なのだが、そうはいかない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;理由は簡単だ。使えない技術者を使う必要がなくなってきたのだ。単純作業しかできないような技術者の代理くらいは、もうコンピュータで十分だ。コンピュータの方が、余程きちんとやってくれる。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;仕事が全般的に減ったので、仕事がとにかく欲しいところは、どんどん単価を落としてくる。もう、派遣会社、ソフトウェア会社同士で、仕事を獲得するために、ダンピング合戦である。人を減らさず、とにかく仕事を取ってくる。皆、これに必死である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;仕事を出す方は、できるだけ安いところに発注しようとする。まあ、相手の能力を判定するなんてことをするところは、まずない。馬鹿でも安ければ、経理もトップも満足するのであろう。それが、その後、どんなトラブルを引き起こすかも知らずに。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;プログラマは職を失って大変だ、と同情する声がある。でも、どこがプログラマなんだという程度の技術者（？）に同情などする必要はない。下手糞なプログラマがプログラムを作っていると、この世の中、危なくて仕方がない。下手糞プログラマのために自分が命を落とすことだって有り得るのだ。とにかく、早く辞めろと言いたい。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;世の中に、本当に仕事がない訳ではない。コンピュータ産業のような、世間受けする仕事がなかなかないだけに過ぎない。いまや、高齢化社会である。お年寄りは増加の一途である。それどころか、コンピュータの発達で、医療機械は一変した。以前なら絶対に生き延びることができなかった人々が、大勢命を救われるようになった。しかし、その反面で、植物人間も多数できるようになった。とにかく、コンピュータの進歩のお蔭で、新たに看護を必要とする患者が大量発生している。看護の世界は非常な人手不足である。こういう「成長産業」へいけば、職はいっぱい有る筈だ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;日本のソフトウェア産業は、人ばかり多くて、生産性は世界の最低水準である。足を引っ張っている下手糞がいっぱいいるからだ。アジア諸国からも、日本のソフトウェア技術は全然評価されていない。もう、コンピュータ産業は、アジア諸国に抜かれつつある。日本は、コンピュータの単なる消費国になる日も近いかも知れない。そうならないためにも、プログラマの半減は重要だ。下半分にいるプログラマには辞めて欲しい。辞めたくなかったなら、さっさと上半分になって欲しい。それができないのなら、プログラマは適職でない、もっと適した職が他に有る筈だ。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>経験年数と３５歳定年説</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003171</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 18:48:32 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;どこの社会も同じと思うが、コンピュータの世界も経験を重視される。受託や出向をするとき、つねに経験年数を聞かれる。つまり、報酬が経験年数に大きく左右される。コンピュータの世界でも、実務経験が１０年を越さないと、一流とは判断されない。いや、１０年を越えると、最低限ベテランと判断されるようだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;そして、それと相反するのではないかと思う言葉に、「３５歳定年説」というのがある。ソフトウェア技術者は、若くないといけないことを象徴する言葉である。とにかく若くないと、コンピュータの進歩についていけないことを言っている。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンピュータの世界では、変化が激しく、今まで使っていたプログラミング言語が廃れてしまうことがある。だから、自分が毎日使用していた言語がそうなってしまえば、新しい言語を覚えざるを得ない。新しい言葉を使えないプログラマは、廃棄処分以外、まったく使い道がなくなる。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;今問題になっているのは、ＣＯＢＯＬ（コボル、事務用言語）とか、ＦＯＲＴＲＡＮ（フォートラン、技術計算用言語）しか使えないプログラマの処置である。これらの言語の需要は減る一方である。ことに、ＣＯＢＯＬプログラマは、ちょっと前まではプログラマの過半数を占めていた。しかし、データベースの発達で、ＣＯＢＯＬを使うことは皆無に近くなってしまった。彼等がプログラマを続けたいのなら、他の需要の高い言語を習得する以外に生きる道はない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;日本の大企業は、彼等にとても親切である。需要がないのは分かっていながら、わざわざ彼等のために、使われることもないＣＯＢＯＬの仕事を捏造している。そういうことをしながら、一方で、新しい言語であるＣ言語とか、データベース言語の教育を行なっている。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;私から見れば、どうしてそんなに馬鹿に親切なことをするのかと思う。コンピュータ言語に流行り廃りがあるのは当然で、特にＣＯＢＯＬは近いうちにそうなると言われていたのである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;そもそもコンピュータ技術者と自認しているなら、複数のコンピュータ言語を使いこなせなくてどうするのだ。少なくとも、新しい言語に移れなくなってしまったならば、もう引退した方が絶対に良い。もはや、プログラマでもないのだから。コンピュータの考古学博物館くらいしか採用できる場所はない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;ここは日本である。色々騒がれているが、まだまだ終身雇用の世界である。コンピュータ技術者として採用した以上、ずっとその職を与え続けなければならない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;ロボットとか自動制御の発達は目覚ましい。これらは、コンピュータの進歩のお蔭で今日がある。でも、これらの発展で、多くの職業がなくなったり、内容が大幅に変更になった。とりわけ、家電製品を組み立てるための膨大な数の単純労働者は不要になった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;機械加工をするのに、人間が直接機械を動かしてすることは非常に少なくなった。自動制御された工作機械が部品を加工していく。２４時間自動運転されている工場が多数ある。たばこの販売だって、昔は店での販売が中心だったが、今は自動販売機が主流である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;コンピュータの発達によって、今までの仕事がなくなったり、内容が大きく変わったり、新しい仕事が発生してきたのである。あらゆる人が、これらの変化の波を大なり小なり受けている。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;それなのに、一番コンピュータに近いところにいるプログラマが、その波についていけないとは何事ぞ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;経験年数は、ある意味では有用である。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;世の中、「表」の世界だけではない。「裏」の世界を知らなければ、何もできない。少なくとも大失敗をするであろう。これは、経験を積むしかない。殆ど公表されていないことであり、本や雑誌で身につけることはできない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;その他にも、人の繋がりが重要である。「コネ」である。仕事を取るためには、コネは絶対に重要である。それだけではなく、コンピュータはどんどん変化していくので、自分だけで情報を押さえることは、どんなに頑張ってもできるものではない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;こういうとき、気軽に聞ける人を持っていないといけない。いわゆる、プログラマ仲間、技術者仲間である。有能な者は有能な者同士の仲間、無能な者は無能な者同士の仲間となるわけだが、これは絶対必要である。特に小さな企業で働いている場合には注意しないといけない。井の中の蛙になり、あっという間に世間知らずになってしまう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;「経験年数」と「３５歳定年説」。どちらも正しいと思わないが、世間はこの２つの矛盾の間で振り回されている。両方とも無視するのが正しい。有能なのが有能なのだ。これらの言葉は、自分で判断できない人が、判断の基準としてすがる拠り所に過ぎない。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>著作権無視</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003169</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 18:47:41 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;浜の真砂とデザイン泥棒はつきない、と随筆家の山本夏彦氏は書いていた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;実際、建築の世界では、デザイン泥棒は極めて多いらしい。建築設計士が盗作をするのではなく、依頼主が盗作を強要することもある。こともあろうに、公共建築に結構多いらしい。つまり、公共団体の長が、他の気に入ったデザインを見て、これと同じ物というので注文をするのである。オリジナルをデザインしたのとは別の設計事務所に依頼するのである。これでは、著作権なんて、あってなきがごとき物である。法の番人が法を積極的に犯しているのだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;酷い場合には、巻き尺持って測量に来るのである。建築物の場合、実物が存在するので、きちんと測定し、寸分違わぬコピーを作るのである。なにしろ、オリジナルを設計した人が、&lt;br /&gt;
「オリジナル建築とコピー建築の写真を見ても、まったく区別がつかないくらい良くコピーされている」&lt;br /&gt;
と驚嘆していた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;これには、著作権違反以外にも、重大な問題がある。その問題に気付いていないことが問題だ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;どんなデザインにしたって、色々問題がある。全てが成功ではない。部分的にはあちこち失敗しているのである。オリジナルをデザインした者には、それらが分かっている。実際に作るという作業をして初めて気がつくような個所も多い。しかし、でき上がったものの複製品を作ったのでは、悪いところは悪いままである。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;出版社で情報処理試験の受験参考書を出版していた。アセンブリ言語という、コンピュータについて深く理解していないと使えない言語の本であった。といっても、情報処理試験で出される程度だから、大したことはない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;情報処理試験など、私および私の仲間達の間では全く評価すらされないが、世間のプログラマ希望者とかプログラマは結構受験するようである。これで就職に有利になったり、技術手当がついたりするからだ。したがって、受験参考書は良く売れるので、どこの出版社も出したがる。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;当時、受験参考書の誤りを調べたことがある。ある参考書の説明に誤りがあると、全く同じ誤りを他の参考書が犯しているのである。きっと他の参考書を見ながら執筆したのだろう。このくらいのことはよくあることで、とやかく言うほどのことではない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;色々調べていたら、奇妙な参考書が１冊見つかった。どう考えても、当時いた出版社が出している参考書から説明や練習問題を丸写ししているとしか思えなかった。極めて悪質な著作権違反である。出しているのは、理工学書を専門に出している老舗である。著者はどこかの大学教授だったと思う。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;それで、&lt;br /&gt;
「貴社の参考書は、ちょっとおかしいのではありませんか」&lt;br /&gt;
という手紙を編集部宛に出した。なかなか返事が来なかったので、まあ事実関係でも確認しているのだろうかと思っていると、やっと来た。
「本人はご病気です」
とだけ書いていた。都合が悪くなると病気になる。まるで政治家と同じだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;以前、ある出版社の手伝いで、地方のソフトハウスの開発したソフトウェアの紹介を私が行なうことになった。当時はまだパソコンという言葉さえない時代で、ソフトウェアが渇望していたので、喜んで普及に手を貸した。雑誌に記事も書き、講習会で講師もした。いずれも上手くいき、その出版社とソフトハウスは協力関係になった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;それからしばらくして、とんでもないことが分かった。そのソフトハウスが開発したと思っていたものは、実は既にその全容がコンピュータ専門雑誌の別冊に掲載されており、誰でも自由に使える物だった。開発なんて真っ赤な嘘、１００％完璧な著作権違反、いわゆる海賊版であった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;法務的なことは私の担当ではなかったので、その後どう処理されたかは知らない。しかし、そのソフトハウスはかなり有名になった。あのくらい悪どくやらなければ発展できないのかとしみじみ思った。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
></item
><item><title>これでも高等教育機関</title
><link>http://karetta.jp/book-node/okite/003167</link
><pubDate>Mon, 27 Feb 2006 18:45:14 +0900</pubDate
><description>&lt;div&gt;&lt;node-set&gt;&lt;p&gt;昔、ソフトウェアは学問に値しないと文部省は判断し、専門学校で教えれば十分と考えていた。だから、国立大学に情報科学科、情報工学科ができたのはかなり遅い。今ではソフトウェアが重要だと叫び、やたらに「情報」の字のつく学科が目立つ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;これだけソフトウェアを教える機関ができたのだから、さぞや日本のソフトウェアのレベルが上がったかというと、どうもそうは思えない。確かに優れた成果を上げているところもあるようだが、大部分はそうではないようだ。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;私は昔出版社の編集部員みたいなこともしていた。あるコンピュータに関する解説書を１冊急に書かなければならなくなった。まだこの世にない、開発中のコンピュータのことなので、色々調べながら書かなければいけない。コンピュータも理解でき、文章も書ける人間を至急調達しなければならない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;そういう事態が発生したので、ときどきお邪魔する東京大学のとある研究室に人捜しに出かけた。ちょっと先生にも挨拶をと思い、立ち寄って話をすると、&lt;br /&gt;
「うちの学生では本など書けまい」&lt;br /&gt;
という有り難い教えを授けられたので、それに従い大学院生に依頼した。おかげで、殆ど私の手を煩わすことなく、ただ待っているだけで十分満足のいく原稿が仕上がってきた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;もし出来ない人間に頼んでいたら、苦労の連続で、&lt;br /&gt;
「もう自分でやる！」&lt;br /&gt;
と叫んだかも知れない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;それにしても、天下の東大の学生でも、本一冊書き上げられないのが普通である。本も書けない高等教育って一体何なんだ。そんな大卒、大卒の資格など剥奪してしまえばと思うのだが、今の日本の大学の程度はそのレベルなのだろう。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;出版社だから、大学の先生方の本も出す。大学の先生が原稿を書いてくるのだが、とても本に出来るような原稿ではなく、内容的な誤りも正して出したことがある。あまり誤りの多い本を出すと、著者の恥だけではなく、出版社の恥にもなる。こういう先生もいるのだから、高等教育機関なんて名前だけに過ぎない。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;その出版社で入社試験を行なうことになり、試験問題を作ったことがある。まあ、優秀そうかどうかを判定できればいいだけである。英語、数学、コンピュータの３分野を出題した。数学は、正四面体の体積を求める問題を出した。先日子供の参考書を見ていたら、同じ問題が、中学生レベルの基礎的問題に分類されていた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;正４面体の体積は、ごく普通には、三角錐の体積の求め方に従って、底面積を求め、高さを掛けて３分の１にして求める。まあ、大部分の応募者は、この方法で解くと思っていた。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;私が期待していたのは、もっとエレガントな答え方をする者がいるかどうかを知りたかったのだ。正４面体の体積は、立方体（サイコロ）の４つの角を切り落とすことで作れる。これから求めれば、ごちゃごちゃ計算しなくても、すぐ求まる。中学生の参考書にのっていたのも、このエレガントな解法だった。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;入社試験の結果は、一人を除いて惨憺たる結果であった。これで大学生かと思われるようなひどさであった。成績の良かった一人は、心理学をやっていた大学院生で、まあ数学を忘れてしまったのか、数学の問題だけができていなかった。この人は無条件で合格にした。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;その他の応募者は、理系の学生または院生などであったが、全滅であった。中には、国立大学で理論物理学をやっているという大学院生が含まれていた。でも、正四面体の体積も求められない能力で、どうやって理論物理学の研究を行なうのであろうか。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;高等教育機関が、本当に高等教育機関として機能しているところは少ない。小中高の間、学校と塾とを掛け持ちし、大学に入っても語学学校に通ったりのダブル・スクールをしなければならない。要するに、本来教育の中心であるべき学校が、十分な教育をできなくなっている。
&lt;/p
&gt;&lt;p&gt;学校というところは、過去の知識を教えるところであった。教師は一度習得した知識を一生にわたって教えていれば済んでいた時代は終わってしまった。コンピュータの世界では変化は激しい。今後どれだけの学校がコンピュータの進歩についていけるのだろうか。 
&lt;/p
&gt;&lt;/node-set
&gt;&lt;/div
&gt;</description
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